国民に開かれた司法制度へ日本国民救援会からの提言(案)(2000年2月6日)

日本国民救援会

は じ め に

 1999年の第145通常国会において司法制度改革審議会設置法が成立し、7月に13名の審議委員から構成される司法制度改革審議会が発足した。以後、審議会は日本国憲法制定から半世紀を経たいまの司法のありかたを問い直し21世紀へ向けた司法制度を提言すべく2年間の審議をスタートさせた。審議にあたっては「法曹一元、法曹の質及び量の拡充、国民の司法参加、人権と刑事司法との関係などの司法制度をめぐり議論されている重要な問題点について」(衆議院法務委員会付帯決議第4項)十分に論議するとともに、「基本的人権の保障、法の支配という憲法の理念の実現に留意すること。特に利用者である国民の視点に立って、多角的視点から司法の現状を調査・分析し・今後の方策を検討すること」(参議院法務委員会付帯決議第2項)とされ、5カ月間の審議を経てまとめられた『論点整理』が12月発表されるに至った。『論点整理』は審議委員の司法に対する見方や司法改革への考え方を総括し、今後の論議の基本的方向を指し示すものとして注目される。
 しかしながら、審議ならびに、『論点整理』にうかがえる見地は、過去わが国の司法の在り方がことあるごとに問われ、多くの国民から批判がよせられてきた内容が一定反映されていると評価できる反面、国民本位の司法改革にとって不可欠の課題や問題点が軽視ないしは欠落している側面も指摘せざるを得ない。「憲法の理念を実現する」立場から「国民の視点に立って」十分な議論を尽くす方向性を打ち出しているかどうか、私たち日本国民救援会の見解を示し、司法が文字通り「憲法の番人、人権の砦」としての役割を存分に発揮できるよう制度改革への提言と議論すべき諸点を提出したい。
 日本国民救援会は創立から71年余、権力による弾圧(革新的社会運動を阻止、孤立化、壊滅させる政治的目的で捜査機関が逮捕や投獄などをすること)犠牲者と家族の救援を最大の綱領的任務として活動し、えん罪や権力犯罪追及、労働争議などの事件の裁判支援の運動に取り組んできた。とりわけ被疑者や被告人・原告といった当事者に最も近い位置から、司法が行政や企業などの権力・財力を行使する側のチェックと救済の機関たる任務を確実に果たすよう、捜査段階や公判段階、また在獄者の処遇改善や再審など、それぞれの局面に応じた要請運動を展開してきた。当事者の視点に立ち、その運動経験から、司法制度の改革にとって特に優先されなければならない課題と論点を以下述べるものである。

歴史の反省に立った司法を

 いうまでもなく司法は、立法・行政などあらゆる権力から独立した存在として、裁判官はいかなる外圧も受けずに憲法と法律、良心に基づき、立法府や行政府の権力行使を積極的に審査、抑制し、国民の付託にこたえる、権限と義務をもっている。そもそもなぜ司法権の独立が付与されているのかという、司法の普遍的原理の問いかけとともに、日本の司法はあらゆる権力に追随せず独立した権限と能力を発揮してきたのかどうか、歴史的経過からの根本的な議論が必要であろう。
 戦前、わが国は大日本帝国憲法と神聖にして絶対不可侵の天皇主権の下、臣民である国民の自由と人権は著しく抑圧されていた。国民が無権利状態におかれたなかで軍国主義の台頭を許し、アジア太平洋戦争に突入し、アジア諸国で2千万人、日本国民310万人もの尊い人命が失われた。この侵略戦争に反対する者、主権在民を主張する者は治安維持法によって容赦なく弾圧され、ここでも多くの人々が犠牲となった。司法は、天皇の命令のもとに、立法、行政に従属させられ、弾圧に協力、加担し、数多くの無辜の人々が逮捕・投獄・拘置され、生命まで奪われた。こうした苦渋の教訓と反省の上に「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないようにすることを決意し」多くの人権条項をもつ憲法を定め、司法権の独立が宣言されたのではなかったか。思想・信条、身分、性別、人種などを理由に一切差別されず、平和と民主主義、生活を守る社会運動を理由に一切弾圧を受けない、自由で平等な自治社会を築いていく、その決意を戦後司法も出発点にしたのではなかったか。司法の原点ともいうべき、この立脚点に立って、司法が国民の人権、平和と安全を求める願いにこたえてきたかどうか、真摯な議論を望むものである。
 この点について『論点整理』では、「U今般の司法制度改革の史的背景と意義」「1近代日本と現在」の項で、明治国家から日本国憲法制定までを略記しているが、治安維持法裁判に象徴されるように侵略戦争の遂行と弾圧に司法が協力・加担させられた責任と反省の語句はみられない。ドイツの司法の原点がナチスの走狗となったことへの深い反省にあるように、わが国の戦後の司法においても、なによりもまずこのことを立脚点にして、司法の現状と問題点が検証されるべきである。
 戦後わが国は、著しい経済復興をとげ、世界有数の生産力を誇る地位を確立した。「経済的繁栄」といいながらもその一方で、働く者の生活と権利が犠牲にされ、環境破壊や労災、公害、薬害等が係争事件として救済を求める事例も増加の一途をたどっている。労働運動、市民運動など国民自らが生活と権利を守る運動、政治的社会的運動にかかわるなかで、多くのフレームアップ事件や刑事弾圧事件も発生した。また自衛隊や安保条約など国家・国民の運命をも決する平和と安全の問題は、しばしば国論を二分し、司法に判断が求められた。しかし、司法当局は、安保条約や自衛隊の憲法審査では「高度に政治的」「統治行為」などの理由をかかげて審査を回避し、ないしは合憲判断を固守して立法政策や行政の権力行使を抑制する任務を果たしてこなかった。また、国民が行政権力を相手に提起した訴訟でも、多くは行政側の言い分を採用し、住民の訴えをしりぞけた。司法は行政の不正や腐敗の追及・抑制に適正な効果を発揮しきれていない、との批判と指摘が多くの国民からなされている。
 こうした司法の行政追随の姿勢は、戦後私たち国民救援会が支援してきた、「フレームアップ」事件や「騒擾」事件、さらには公安条例、公職選挙法や屋外広告物条例、軽犯罪法、などを適用された刑事弾圧事件においてとりわけ顕著である。無罪推定の原則にたって、物証を中心に審理を進めるよりは、捜査機関の主張や「自白」を重視する判断がしばしばみられ、常識では無実とみられる者の救済が困難を極めている。とりわけ刑事裁判の99パーセント以上が有罪となる実態は、検察や警察の捜査をチェックしたり、無辜の者を発見し速やかに救済する機能の、麻痺を招く危険な事態にあるといってよい。これらの一刻も早い改革が要請されている。
 こうした司法の独自の特性と役割が、機能不全に陥っている実態とその原因を見ないで、経済的・政治的な要請から、「政治改革」や「規制緩和」といった路線の延長線上で改革を進めようとすれば、大企業や行政など社会的経済的強者に厚い改革のみに終わる結果となるだろう。

人権の尊重こそ「国際的視点」

 司法制度改革審議会の論議では、経済の国際化にともなう司法改革であることがくりかえし強調され、『論点整理』にも「世界に展開する個人や企業等の安全とその権利をいかに保護していくのか」と提起し、人権問題等の地球的課題や国際犯罪に取り組む課題を示し、「公正な国際的ルールの形成・発展」を唱え、自律的個人が共生するためのルールへの取り組みを主張している。だが、人類の長年の歴史的成果として世界の多くの国々が認め合った世界人権宣言や国際人権規約については一言もふれられていない。真に「グローバルスンダード」に立つのであれば人権の普遍的原理を定めた国際人権規約を基準に日本の人権状況を比較・検討し、制度の上から変革することこそ最も急がなければならない課題ではないか。とりわけ『市民的・政治的権利に関する国際規約』(B規約)に基づく「自由権規約人権委員会の第64会期最終見解」(98年11月)における35項目のうち、30項目が日本政府への懸念や勧告などの批判にあてられ、「公共の福祉というあいまいで解釈が限定できない概念で……(政治参加の自由などが)制限される」、「人権侵害調査を行い、不服申し立てに対して救済を与える制度的メカニズムが欠如している。……当局がその権力を濫用せず、実務において個人の権利を尊重することを確実にするためには効果的な制度的メカニズムが必要である」とし、法務省監督下の人権擁護局・人権擁護委員会が役立たないので独立の機関を設置するよう求めている。さらに、在日外国人などマイノリティの差別、人権侵害、被疑者の長期勾留や、受刑者への非人道的扱い等、立法、行政、及びこれをチェックすべき司法を含め、遅れた人権状況が指摘され、「裁判官、検察官、行政官に、『規約』に基づく人権研修・・を強く勧告」「法学フォーラムやセミナーを開催し裁判官が『規約』に親しめるようすべきである」と求めた事実は、国際社会からの要請として極めて重要な重みをもっている。さらにまた日本政府は、93カ国もの国が批准しているB規約に基づく第1選択議定書(批准をすると、その国の国民は直接規約人権委員会に通報して救済を求めることができる)を批准していない。このように国際社会から求められている人権上の課題を抜きに、わが国司法のグローバリゼーションを主張しても、それは企業や行政など財力や権力をもつものの安全と利益を守ることをめざしているとの批判を免れないであろう。

司法制度の改革は裁判制度から

 司法は、大多数の国民にとって遠い存在であり、自らの生活と権利を守る場と自覚され活用されるに至っていない。司法を国民から遠ざけているのは、権利回復までに要する費用と時間の膨大さに加えて、司法がわかりにくく使いにくいものになっていることである。また裁判官と国民との接点がないこともその要因となっている。これらの国民の指摘と批判に『論点整理』は「重くうけとめざるをえない」とこたえるが、司法行政の権限と責任を与えられている最高裁は、国民の多様なニーズや期待にこたえて、容易にアクセスしやすい、開かれた裁判所をつくる司法政策を実施してきただろうか。
 最高裁は、戦後の新憲法の立場とは逆のコースをたどってきた。わが国の平和と安全にとって最も基本をなす、安保条約や自衛隊の違憲訴訟での審査を放棄し、行政府に追随する姿勢を示す一方で、国民の生活権、働く権利、刑事弾圧事件などでも、多くは国民の権利を否定し、行政や企業、捜査機関の主張に従った、いわば「強者」に厚い姿勢を示してきた。憲法で保障された言論・表現の自由や思想の自由といった国民の基本的人権と治安維持が対立する事件の場合、具体的な実態の不明な「公共の福祉」論をタテに合憲とし、ないしは憲法判断を回避し、国民の人権を狭める役割をはたしてきた。また、世界にもほとんど類例のない戸別訪問の禁止や極端な文書規制を定めて国民の政治参加を狭めている現行公選法の違憲性が争われた事件で、70年代にすでに10の裁判所が「公選法は憲法違反」の判断を示しているが、上級審、とりわけ最高裁はことごとく「公共の福祉」を理由に覆し、20年以上もの長い間、合憲判断にしがみついている。それも判断を回避するときは立法府の裁量に属する事柄(立法裁量論)としたりして、違憲立法審査権をほとんど行使していない。「裁判所は上にいくほど悪くなる」と酷評されるゆえんでもあろう。裁判官のなかには、自らの良心にしたがって、最高裁の示す判例傾向と異なる判決を出す場合もある。が、その裁判官は昇給・昇格、転任など人事政策で差別を受けることを覚悟しなけれならない。加えて、裁判所の支部や簡易裁判所の統合・廃合が実施をされ、国民の裁判を受ける権利がますます遠く隔てられた事実も指摘しておく。
 このような司法行政を改めることなしに司法改革への「努力」と「成果」は実効あるものとなり得ないことを重ねて強調しておきたい。
 『論点整理』はまた、「適正な刑事手続き」で「検挙・処罰が的確に行われ」「安全な社会生活を営むこと」ができる方向をうたう。その一方の公権力を行使し得る、警察や検察の実態については、一切ふれていない。とりわけ、26万人を擁する警察は、捜査の末端で国民と直接接する巨大な実力部隊であり、そのあり様は国民の人権とふかくかかわりあっている。警察官の犯罪がニュースにならない日はないほど、警察内部の犯罪と腐敗がひろがっている。いまの警察には、国民の生命・財産・人権を守る任務をまっとうできない体質があり、これらを放置したままの司法改革で、はたして適正な刑事手続きや国民の安全な生活がまっとうできるかどうか、危ういといわなければならない。警察の違法をチェックすべき立場の検察においても、1986年に発覚した日本共産党緒方靖夫国際部長(当時)宅盗聴事件で、違法を知りつつ不起訴にしてしまった事実に示されるように、警察の犯罪をただすのに十分任務をはたしているとはいいがたい。私たち国民救援会には、警察官など捜査官による人権侵害や犯罪による被害者が数多く救援を求めてくる。そうした被害者の声や支援関係者の声をひろく聞き、今後の論点とすべきと考える。
 司法行政に責任を負う裁判所や検察と比較すると法曹三者のうちで弁護士は在野にあって国民と多くの接点をもっている。『論点整理』では、この点をもって、裁判所、検察の在り方を検討するよりも、「司法への国民のアクセスを阻害する一因」は弁護士にありと断じて、「まず何よりも」「弁護士へのアクセスの拡充」をはからなければならないと、弁護士の在り方の検討を打ち出している。が、2年間という限られた論議の時日で、優先されるべき課題は、司法行政の根幹をなす裁判所の在り方であり、捜査機関の在り方ではないか。国民は迅速・公正な裁判を受ける権利を有している。弁護士会の設置した法律扶助、当番弁護士制度の導入が多くの人権を守り、また、少なくない弁護士が、手弁当でえん罪事件や弾圧事件、労働事件などの弁護活動に従事してきたことも、私たち日本国民救援会の知っているところである。これは、弁護士に在野法曹として自治権が保障され、社会正義の実現と人権の擁護という社会的使命が与えられているからである。国選弁護制度の拡充や弁護士人口の偏在是正など弁護士の在り方の論議もむろん必要であろうが、司法制度の改革は、国民の目と声の届きにくいところ、権力の強いところから論議を進めるのが最も合理的で実効あるものとなることを付言しておきたい。

権利保護を基調とした刑事司法を

 民事司法の在り方で、『論点整理』は「行政訴訟制度や違憲審査権行使の在り方については、従来さまざま批判や提言がなされてきた」として、「行政・立法に対する司法のチェック機能を充実させる方策について検討する」と、国民から大きな問題点として批判されてきた司法の機能不全ともいえる問題についての検討を明言している。これも極めて重要な課題である。検討にあたっては民事司法にかぎらず、実態と問題点を当事者たちから広く聴取し、綿密に調査すべきと考えるものである。
 『論点整理』はまた、刑事司法について「公共の福祉の維持と個人の基本的人権の保障」をかかげ、「的確に犯罪を認知・検挙し、公正な手続きを通じて、事案の真相を明らかにし、適正かつ迅速に刑罰権の実現を図ることにより、社会の秩序を維持し、国民の安全な生活を確保する」としながら、犯罪が「複雑化・凶悪化・組織化・国際化の度合いが強まった」ために、従来の捜査・公判ではこれに応じきれない旨述べ、新たな「捜査・公判手続きの在り方を検討」すると提起している。一方で、被疑者・被告人の権利保護が肝要とも述べる。もっともであるが、実際の刑事司法の運用がどのようになされてきたのか、私たちは多くの事件審理を通じてこれにふれておかなければならない。松川事件や白鳥、メーデーといった刑事弾圧事件、免田、財田川、松山、島田といった死刑囚再審事件などを通じて示された、不公正な裁判、真実を隠す裁判、被疑者、被告人への人権侵害に照らしてみれば、決して、『被疑者・被告人の権利保護』が十分になされてきたとは考えられないのである。
 司法制度改革審議会では、被疑者や被告人となった者が、実際捜査機関にどのように扱われ、裁判のなかではどうされたのか、また、裁判官がどういう訴訟指揮と認定をしたのか、問題となった事件から調査すべきである。論議されるべき刑事司法の問題点と改善点のいくつかをあげれば次のとおりとなる。
 まず無辜の者を早期に発見して救済すること。現行司法制度のもとでなされている、検察が有罪に有利な証拠のみを提出し、逆に無罪を証明する証拠を隠す(松川事件のように)制度の改革である。いまの刑事裁判では、「無実の者」に死刑判決が宣告され、一旦確定してしまうと、えん罪を晴らすことは極めて困難である。再審開始決定が出て無罪判決が確定するまで、20年30年の長期の裁判を余儀なくされる。半生を裁判に費やす覚悟が必要となる。再審で無罪となって釈放された場合(免田事件、財田川事件、松山事件、島田事件)刑事補償金が支払われたとしても、若くて充実した人生は再びとりもどせない。この悲劇をなくすためには、検察側と、被告・弁護側が対等平等の立場で主張と立証を尽くす、公正な裁判が求められる。捜査の権限のない被告・弁護側に、すべて捜査記録や証拠を開示した上、法廷で主張・立証をして争うのが、真実究明には不可欠である。そして下級審において無罪判決が出た場合は、検察官の上訴を禁止し、速やかな救済措置がとられなければならない。また再審請求においては、「疑わしきは被告人の利益に」の鉄則に従い「新規にして明白な証拠」を提出しそれが旧証拠と総合して、確定判決に疑いが生じた場合を開始の要件として、現行の再審の門を緩和するとともに、再審開始決定が出た場合、検察官の異義申し立てを禁止して速やかに無辜の者の救済をはかるべきである。
 民事訴訟においても、企業や行政機関などが事件の真実を究明するのに必要な資料や証拠の提出、さらには証人出廷や証言を正当な理由なく拒む場合がしばしばみられる。提出や出廷、証言の義務を負わせるべきである。
 裁判の審理にあたっては、証言などの証拠を公正で正しく確保するために速記官制度は不可欠であり、この制度を守り、機器の力をも駆使して充実、発展させなければならない。
 一方、権力犯罪や刑事犯罪、交通事故などの、告訴・告発人や被害者にとっては、捜査が十分に尽されなかったり、処分結果も報告もされず、納得できないまま不起訴処分にされる例も相当数ある。これらを不服として被害者が検察審査会に申し立て「不起訴不当」の決定が出ても、決定に拘束力がないため、検察官が再び不起訴とすれば検察審査会の決定が生かされないしくみとなっている。被害者への刑事記録の公開と処分結果の通知を義務づけ、検察審査会の不起訴不当の決定が出た場合、事件の軽重や種類(加害者が権力を行使し得る者か否かなど)一定の要件を定めて拘束力をもたせるべきである。
 捜査上の大きな問題は、捜査の第一線に立つ警察官が憲法や法、人権を順守する意識に薄いこととあいまって、裁判所の令状がほとんど捜査機関の請求のままに発布されていることである。捜索令状が恣意的に拡大解釈され、被疑事件と無関係の場所が捜索されたり物が押収されたりするケースがしばしば発生する。公職選挙法事件で、事務所を捜索した際、その団体役員名簿を押収したり、重症患者や救命活動をしている病院に夜間執行の令状をとって深夜10時過ぎに捜索に入ったことなどもある。また、軽微な事件の容疑で逮捕しておきながら、その事件はほとんど取り調べず捜査官がにらんだ別件での「自白」の強要、拷問を加え、苦し紛れの「自白」をさせる。被告人が公判でそれを訴えても、証明する「証拠がない」と信用されない。「自白」の強要は、警察の留置場(代用監獄)に身柄を拘置したまま、待遇(供述すれば食事の内容をよくしたりたばこ、酒を与えるなど)や釈放などを条件に求められる。憲法上の権利である黙秘権を行使していることを理由に裁判官は「罪証隠滅の恐れ」があるとして勾留延長を認め、不当に不利益をこうむる事例も少なくない。
 拘置所や刑務所の在獄者にあっては、面会の回数や人数などが著しく制限され、それも刑務官などが立ち会い、弁護人との秘密交通権もない。文書の発・受信も制限されている。とりわけ「えん罪」を主張している被告人や受刑者は待遇面で低い等級におかれるなど不利益を受けている。
 その一方で、政治家や高級官僚、警察官などの公権力を行使する立場の者が刑事犯罪を犯し国民に損害を与えた場合、事件が隠蔽されたり、身内のごく軽い処分だけですまされたり、不起訴処分にされてしまったりする例も後をたたない。権力を行使し得る者の犯罪は、捜査や公判、刑事処分に至るまでの一切の公開を義務づけ国民の監視の下で厳しく罰せられるようにすべきである。

国民の司法参加と裁判官・弁護士の増員

 裁判官の判決や事実認定は市民の常識からかけはなれたものがみられる。裁判官といえども神ではない。法律知識はあっても1人の人間の視点から事件をみるにすぎない。まして、国民と交わる機会もなく、また国民の目を通してみた事実認定を聞く機会もなければ、それは常識との著しい乖離を起こす。裁判は、予断と偏見を取り除いて証拠関係を正当に評価し、より精密な事実認定にいたることが求められている。さまざまな分野で社会経験を積んだ人々の多角的視点で意見をたたかわせてこそより正しい認定に到達するのも必然的な帰着であろう。そのため法律実務には素人である市民の目がどうしても必要である。
 『論点整理』では、「歴史的文化的な背景事情や制度的・実際的な諸条件を考慮しつつ」国民の司法参加を検討するとあるが、すでにわが国では1928(昭和3)年から43(昭和18)年までの15年間陪審裁判が実施され、「戦争の激化」を理由に停止された経緯もあり、まずこれを復活させ、現在の裁判実態に合わせて民事、行政事件にもこれを導入する方向で検討すべきである。陪審制度の下では事実の主張・立証はもとより、法と裁判のしくみを国民に理解してもらわなければならないから、自然、司法がわかりやすくなり、国民は法と権利へ自覚を高め、法秩序を規範として自治社会を形成していくのにも貢献する。
 もとより裁判官は、憲法と法律、良心にもとづき、独立した判断を出さなければならない。それには、一切の思想・信条の自由が保障され、市井の人々のなかにあってさまざまな社会的活動(政治・市民・ボランティア活動など)に参加してこそ、社会の底辺にいる人々の真実の生活を知り、また女性、子供、障害者、在日外国人、マイノリティといった、いわゆる社会的経済的弱者の存在を理解することができよう。そのような経験を豊富に積んだ法曹こそ、裁判官にふさわしいといえよう。
 国民は公開された公正な裁判を受ける権利を有している。が、実際に、権利侵害をこうむっても、費用や時間、労力などの困難さゆえ、権力や財力の前に泣き寝入りさせられるケースも少なくない。裁判に時間のかかりすぎるのは、裁判官の絶対数が不足して1人当たりの手持ち事件が多いところに主な原因がある。
 法曹人口を急激に増大させることは焦眉の課題でもある。司法予算を大幅に拡大して、裁判官の大幅な増員をめざし、あわせて、書記官、調査官、速記官、事務官などの裁判所職員の増員、国民が司法を利用しやすくするための国庫負担による法律扶助制度の拡充、被疑者弁護制度の実現などをはからなければならない。
 とりわけ、正義と真実の立場を貫き、道理ある裁判を行う裁判官を養成するためにも、法曹一元化が求められる。わたしたちの言う法曹一元化とは、国民が参加した裁判官指名諮問(審査)委員会などにより、弁護士経験者などのなかから、市民に信頼され尊敬される裁判官を選任(審査)する制度を求めるものである。また、これらの実施にあたっては、法曹人口の急激な増大によって弁護士間の競争をいたずら激化させ、従来の弁護士本来の職責である人権の擁護と社会正義を実現する活動をせばめ、弁護士自治を損ねることのないよう必要な方策が講ぜられなければならない。
 私たちは少なくない弁護士がこの職責をになって奮闘した結果、わが国の人権と民主主義が守られた教訓に立って、いっそうの社会正義と人権の拡大を望むからである。いたずらに弁護士間の競争を増し、効率と利益を優先する弁護士が増大する結果を招かないような措置を重ねて求める。わけても企業の法務担当に法曹資格を与えることは弁護士自治に企業の介入を招く恐れがあり強く反対する。

裁判所をオープンに

 憲法は裁判公開の原則を定めているが、裁判所の法廷内において傍聴者のメモは自由化されたものの、写真撮影、録音、ビデオなどは原則として禁止されている。これらも自由化されなければならない。傍聴者を収容しきれない裁判もときどきあり、傍聴券を発行しているが、さらに多くの市民が傍聴できるよう、多人数収容できる法廷を多く設置することが求められる。法廷は、裁判官席を高くしたり、傍聴席との仕切りは必要なく、もっとオープンな配置をした設計が求められる。
 わけても最高裁判所は、市民の施設内への自由な出入りを規制し、敷地内での写真撮影すら禁止している。当事者や支援団体などの要請には、厳しく人数や時間の制限をして書記官が受けつけるが、上告中の事件の調査がどの程度進行しているのか、当事者や弁護士にも一切知らされず、ある日突然「決定」が郵送されてきたり、判決が言い渡されたりしている。当事者の死活にかかわる問題での判断に至る経過が明らかにされないことは、公正裁判の原則にも背くものである。最高裁は、当事者はもとより国民へ、審理経過や提出された証拠への評価なども含めた理由を明らかにし、事前に十分な余裕を当事者がもてるよう通知をした上で「決定」や「判決」を出すべきである。
 こうした点での改革とともに、裁判所は国民への法的サービス機関として公的役割を発揮しなければならない。国民の人権意識を高めるために、裁判所内に憲法や法律を自由に学べる集会場、資料室などの設置を求める。
 裁判官が不当な判決を出した場合に、国民はこれを批判し公正な立場に立つよう審査する権利をもっている。その審査をする唯一の機会ともいえる最高裁判官国民審査は、国民に趣旨が理解され、投票行為に反映するものとはなっていない。国民審査の対象となる裁判官をほとんどの国民は知らず、投票も×印のみ不信任、無記入を信任とする方式となっていることなど早急に公正なものに改められなければならない。そのためにも裁判官の経歴などもっと詳細な情報提供をするとともに、さしあたり投票方法を、信任は○・不信任は×とする方式に改めるべきである。


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