改革の根本課題、冤罪・誤判防止をなげ捨てたうえ
国民の批判を許さない刑事裁判への改悪に反対する

−裁判員・刑事司法手続き2法案に対する意見

                       
2004年4月10日 日本国民救援会

1 はじめに―あるべき刑事司法改革の基本と、刑事司法2法案

政府は、3月2日、刑事司法2法案(裁判員法案、刑訴法改定案)を国会に提出しました。

* 裁判員の参加する刑事裁判に関する法律案  * 刑事訴訟法等の一部を改正する法律案

  日本国民救援会は、永年にわたって無実無罪を争う刑事事件の支援運動にかかわってき、また、現にかかわっている立場から、これまで、刑事司法改革論議、とりわけ司法改革推進本部の裁判員・刑事検討部会による法案検討に入って以降の、後退を重ねる論議に対して、繰り返し警告を発してきました。

  日本国民救援会が警告を発した基本的観点とは、その論議が、これまで広く指摘され続けてきた、冤罪・誤判の防止にむけた抜本的改革という、あるべき刑事司法改革の基本から外れてはならず、常にこの基本に立ち返ることを求めたものです。その趣旨は、次のようなものでした。

  国民が司法へ参加する制度の新たな導入にむけた改革を民主的に遂行するためには、日本国憲法と国際人権諸規定に照らして、これまでの司法の誤りを歴史的に検証したうえで、

@ 裁判の当事者たる国民(個人)の人権保障を貫いて、充実した審理を行うことにより、裁判所が名実ともに「人権の砦」となるものであること、

A 訴訟手続そのものに直接国民が参加する制度の導入は、国民参加の実質をともなう、合理的で実効性が確保されるものであること、

B 法廷外にある国民の司法参加(裁判の公開=傍聴・裁判資料公開など、請願・要請・裁判批判運動)を厚く保障し、絶えずその機会の拡充をはかるものであること、

という3点を基本とするべきであるのに、その反対方向を志向している。

2法案の内容は、この日本国民救援会の指摘と警告が正しかったことを証明しています。やるべき刑事司法改革の基本について何も顧慮していないばかりか、裁判員制度の導入を契機として、新たな規制条項を盛り込み、刑事裁判を改悪するものとなっているからです。

2 国民の裁判批判(法廷外の事件支援運動など)を犯罪視し、処罰しようとしている
(1) 法案の内容

「座長ペーパー」に含まれていた、「裁判の公正を妨げる行為の禁止」が、マスメディアなどによる厳しい批判もあり、裁判員法案では消えました。
* 2003年10月28日「考えられる裁判員制度の概要について」裁判員制度・刑事検討会座長・井上正仁

* 何人も…事件に関する偏見を生ぜしめる行為その他の裁判の公正を妨げるおそれのある行為を行ってはならないものとする

しかし、この規定以外にも、法案では、国民の裁判批判(法廷外の事件支援運動など)を敵視し、犯罪として取り締まる仕組みが幾重にも用意されています。

 *   国民の裁判批判には、法廷外の事件支援運動(法廷外を主要な場とし、被告人の無罪判決等を勝ちとることを目的として展開する事件支援の運動)をはじめ、学術研究上の論評、マスメディアによる報道、各種団体・組織ないし国民個人による評価など、その種類や態様は広範で多様です。ここでは、日本国民救援会の歴史と存在意義にもかかわり、国民の裁判批判のなかでもっとも積極的な典型というべき性格をもつ、組織された法廷外の事件支援運動を中心に述べることにします。

@ 裁判員に対する「意見表明」等を犯罪視

★ 請託罪等(裁判員法77条2項)

   法案は、「事件の審判に影響を及ぼす目的で、裁判員又は補充裁判員に対し、事実の認定、刑の量定その他の裁判員として行う判断について意見を述べ又はこれについての情報を提供した者」を「請託をした者」(1項)と同様に扱い、2年以下の懲役または20万円以下の罰金とする規定をおきました。

    *  法案は、「裁判員又は補充裁判員」、ときには「裁判員、補充裁判員、裁判員候補者、その親族」などを列記している条項もありますが、本論にとっては本質的な問題ではないので、このような表記が行われている場合でも、以下、単に「裁判員等」と記すことにします。

   弾圧事件や冤罪事件の支援運動は、当然に「事件の審判に影響を及ぼす目的」をもって行われるものです。その方法は多様で、「事実の認定、刑の量定その他の裁判として行う判断について意見を述べ又はこれについての情報を提供」することも含まれます。その行動は具体的には、裁判所の所在地住所に宛てた文書による要請において、宛名を「裁判官・裁判員御中」として送付し、あるいは裁判所の担当窓口で提出することや、裁判所の周囲や街頭などでの音による宣伝において、「裁判官・裁判員のみなさん」とよびかける、などです。

こうした行動は、これまでにも「裁判として行う判断」に関して、各地で積極的に行われてきました。このような活動が、「請託」はもとより、不法な圧力による裁判の歪曲などとは一切無縁のものであることは、これまでの事件支援運動における歴史が、事実で示しています。

   法案は、通常の日本語の解釈に従う限り、このような道理ある正当な行為に対する適用も排除しておらず、以下に具体的に検討していく条項とあわせれば、むしろ、密かに、この国民による裁判批判、事件支援運動のために行う言論活動を、直接の規制対象に含める意図をもったものという疑いがきわめて濃厚です。

 ★ 威迫罪(裁判員法78条)

   法案は、また、事件を担当する裁判員等に対し、「面会、文書の送付、電話をかけることその他のいかなる方法をもってするかを問わず」、威迫の行為をした者は、2年以下の懲役又は20万円以下の罰金とする規定もおいています。

   威迫とは、従来の解釈では、文書や電話等を含まない直接の言語、動作で威力を示し、不安、困惑の念を生じさせることとされる行為です。この犯罪は、実際の被害や、被害が発生する具体的な危険性の発生すら不要のままに成立します。この成立要件を拡大した「裁判員等威迫罪」が、節度をもって行われるまじめな事件支援運動に対しても適用される恐れは、ここでも、まったく排除されていません。

 ★ 接触の規制(裁判員法73条)

   さらに、法案は、裁判員等に対して「面会、文書の送付その他の方法により」行う事件支援の行動を「接触」ともみなして、重ねて規制しようとしています。

これについても、広範な行動類型をたばねて「接触」というあいまいな概念でひと括りにしたうえで、事件支援運動に対して適用する可能性を指摘しないわけにはいきません。不当に拘禁された人に対する文書や拡声器の使用による激励、拘禁した者に対する節度ある抗議・要請は日常的に行われてきました。こうした行動も、その事件に裁判員等が関与している場合は、規制の対象とされるのです。その具体的な問題点は、A項に譲ります。

    *   73条には「接触」について一切の説明がないものの、次のA項に見る、被告人の身柄に対する不利益扱い条項で、裁判員等にたいする「面会、文書の送付その他の方法により接触すると疑うに足りる相当な理由」と明示されています。

  一般国民から選ばれたといえども、裁判員は裁判所を構成する裁判体の一員であり、ここでの評決によって、人の一生についてその明暗が不本位・理不尽に左右されるかも知れないのです。従来、裁判所や裁判官に対する意見表明等の方法による事件についての要請が認められ、受け入れられてきたものを、同じ裁判体を構成する裁判員の参加する裁判(しかも、その対象は、死刑、無期の懲役・禁錮等にあたる重大事件です。)のみについて、これを除外する合理性などありません。「法の素人」である一般国民が裁判員として刑事裁判に関与する場合、各種の不法・不当な圧力から「保護」するための対策を講じる一般的な必要性は否定しませんが、これらの規制は明らかに異常な逸脱であり、裁判員制度の導入を梃子に、国民の裁判批判を封殺するための方策を打ち出したとの疑いを指摘せざるを得ません。

  こうした、国民の裁判批判、事件支援運動に対する封殺は、法案を提起した側からすれば必然でしょうが、一般国民にとどまらず、事件を担当した裁判員等に対しても用意されています。

 ★ 裁判員等による秘密漏示罪(裁判員法79条3項)

   裁判員等であった人が、担当事件について、「裁判所による事実の認定又は刑の量定の当否を述べたとき」は、1年以下の懲役又は50万円以下の罰金とする規定が、それです。事件の係属中における一定の要件に絞った合理的制約ならまだしも、この規制は、裁判員等であった人が生涯にわたって負い続けなければなりません。裁判の評決は単純多数決によることになっている(裁判員法67条)ために、裁判員のなかには当然に、この多数意見に対して異議や不満を抱く人が出現し得ます。仮に死刑の評決が出され、一部の裁判員がこれを冤罪と確信しても、その彼ないし彼女が、被告人の雪冤のために行動するには、1年以下の懲役又は50万円以下の罰金を覚悟のうえでないとできないのです。かつて、死刑冤罪・財田川事件で、第二次再審請求審の裁判長として関与した矢野伊吉氏は、陪席裁判官の賛同を得られなかったためにその職を辞して弁護士となり、再審請求人の雪冤のためにその後の生涯をささげました。法案は、矢野弁護士に続くような、あるいはそこまでも踏みこまない程度であっても、裁判員の各種の言動を、事前に強権をもって抑制しようとするのです。

A 国民による裁判批判を、被告人の身柄に対する不利益扱いに「活用」しようとする

  上記の「接触の規制」には、その他の規制と違って罰則が定められていません。しかし、これは決して他の規制に比べて、緩やかな規制というものではなく、刑事訴訟法の適用についての特例規定を新設し(裁判員法64条)、制裁の矛先を、事件支援運動を行った人や集団が救援・支援の対象とする被疑者・被告人に向けているのです。法案は、「文書の送付その他の方法」も「接触」に含めており、たとえば事件支援運動の一環として取りくまれる要請署名や音による宣伝にも適用されるおそれがあります。これは、現在の刑事司法において直ちに改めるべき課題である「人質司法」を、国民の裁判批判の重要な要素を占めている自発的な事件支援運動の圧殺のためにも活用しようとするもので、一石二鳥ねらいの制限規定といわねばなりません。

 ★ 接見交通権の制限(刑訴法81条へ事由の追加)

   現行法は、被疑者・被告人が逃亡、証拠隠滅の恐れがある場合には、弁護人や弁護人になろうとする人以外の人との接見・授受を禁止するという規定です。法案は、これに加えて、裁判員等に対して「面会、文書の送付その他の方法により接触すると疑うに足りる相当な理由」が認定される場合にも、この制限規定を新規に適用しようとします。

★ 保釈不許可事由(刑訴法89条5号へ事由の追加)

  裁判員等に対して「面会、文書の送付その他の方法により接触すると疑うに足りる相当な理由」が認定されると、元来なら保釈が認められた事案のときでも保釈が認められないようにするものです。

★ 保釈取消事由(刑訴法96条1項4号へ事由の追加)

  前項は、勾留中の被告人に対して、保釈を許可しない理由に「接触」事項を加えることを規定したものですが、既に保釈された被告人の場合に、裁判員等に対して「面会、文書の送付その他の方法により接触すると疑うに足りる相当な理由があるとき」には、その保釈を取り消す理由として機能します。座長ペーパーや法案の骨格案(ことし1月29日発表)の際には、接触したと断定できる場合には保釈の取消事由となることとされていましたが、法案では、この保釈取消事由の要件が緩和されました。

B 裁判批判に不可欠な検察官開示証拠の「目的外使用」を犯罪視(刑訴法281条の3〜6)

   国民が裁判を監視・批判し、事件の支援運動を行うにあたって、それが道理をわきまえた説得力あるものとなるためにも、裁判記録は不可欠です。そして、その裁判記録の中心となるものは、現在の刑事裁判のシステムからも、またその歴史的な実態からも、検察が所持する証拠でした。検察開示証拠の真摯な批判的検討によってこそ、無実無罪を主張して争うための裁判批判は、広く説得力と道理を得ることができ、また事件支援運動を実効性あるものにします。

   ところが、刑訴法改定案は、この検察記録をみることを不可能にすることを企図しています。被告人・弁護人が、検察開示証拠について、その事件の審理、および再審請求など、これと不可分な関係にある「手続又はその準備に使用する目的以外の目的で、人に交付し、又は提示し、若しくは電気通信回線を通じて提供」することを一律に禁じ、これに反した場合は1年以下の懲役又は50万円以下の罰金を科すとしているのです。この規制は、事件終了後も適用されます。

   そもそも、無実無罪を争うような事件では、「事件の審理の準備」のために弁護団会議や対策会議などが開かれ、これには被告人・弁護人以外にも、被告人の家族・支援者・学者・研究者・弁護人でない弁護士をはじめ、ときにはマスメディア関係者も加えて行われることは、特異なことではなく、むしろそのような態様が一般的です。ここでは、当然に、検察の開示記録の「交付、提示、電気回線を通じた提供」などが不可欠であり、場合によっては、こうした開示記録を含めて雑誌・事件記録集などのパンフレット・書籍として刊行することも、常態化しています。かつて、52年事件とよばれた謀略的な弾圧・冤罪事件のひとつ、辰野事件では、全国に支援をよびかけた「現地調査」において、記録にもとづいて正確に説明したからこそ、「健全な常識の眼をもった国民」の指摘により、ダイナマイトの導火線は音を立てない、即ち、警察官の目撃供述は嘘だった、という真実が発見されたのです。

刑事事件における被告人の「防御権」、弁護人の弁護権を行使するうえで、その中核となるものは、検察証拠の弾劾であり、事件支援運動における「事実」の中心もまた、検察証拠であることは論を待ちません。このように、検察開示記録の検討は裁判批判における中心的課題にほかなりませんが、法案は、こうした行為の前提となる、被告人・弁護人からの記録の提供を一律に禁じるのです。そして、ビラ・新聞などで事件の真実と被告人への支援を訴える宣伝行動や、研究論文・著作などでの論評における記録の引用などが、被告人・弁護人に対する摘発の端緒となります。

   こうして、裁判批判は法廷内における被告人・弁護人の訴訟活動のみに限定され、法廷外における裁判の批判や研究・検討は、まるで秘密結社の行動として扱われることになりかねません。しかし、国民による、自由で闊達、真摯で旺盛な裁判への監視と批判の機会を刑罰によって奪うような刑事裁判では、この国が民主主義国家として進むべき未来は閉ざされてしまいます。

 (2) 国民による裁判批判の意義と内容

    無実無罪を争う事件で法廷外の事件支援運動を行うことは、その裁判に勝つために行う大衆的な裁判闘争であり、国民の裁判批判のなかで、もっとも積極的で崇高なものです。この運動は、裁判過程における証拠判断原則と同じで、「事実と道理」をキーワードとして展開されます。

すなわち、大衆的裁判闘争とは、具体的事件において、法廷活動および法廷外における関連事実の一切について、その全部または一部につき、客観的な事実の確認のうえで、その事実と事実にもとづく論理(事実を総合判断した道理)により、法廷外に働きかけて良心にもとづく裁判批判の国民世論を組織し、これを法廷に現して、裁判体の良心発露を促し、裁判の公正の目的で事件に影響をあたえる裁判批判運動です。

日本国民救援会は、戦前の裁判から今日まで蓄積された、大衆的裁判闘争の経験と教訓を受け継ぎ、これを発展させるために、日々、全国で活動しています。刑事司法2法案が、国民の裁判批判を抑制・排除する方策を打ち出した問題の重要性に鑑み、本文末尾に「補論」として、国民の裁判批判の意義と内容、及び2法案の歴史的位置づけについて、さらに考察することにします。

3 法廷での弁護活動そのものを無力化させようとしている

  国民の裁判批判行為が抑圧されることになると、法廷外における事件支援運動などは大きな困難に見舞われることになり、法廷内における被告人・弁護人の訴訟活動のみに限定されるおそれが現実のものとなります。ところが、2法案は、被告人・弁護人が行う法廷活動そのものに対しても、とくに無実無罪を争う事件などにおいて、これを事実上無力化させる条項を準備しています。

(1) 公判前の争点・証拠の整理手続きの導入(刑訴法316条の5、316条の32、292条)

刑訴法改定案は、第1回公判に先立った、「争点及び証拠の整理手続」(316条の2-316条の32)を導入するという、刑事司法手続の大改定を打ち出しました。直接の立法目的は、裁判員に対する拘束の負担軽減ですが、法案の内容はこれにとどまるようなものではありません。

この公判前整理手続では、裁判員が参加する以前において、検察側・弁護側を問わず、双方が、事実上、冒頭陳述とこれにもとづく証拠調請求を行う義務を負い、さらに、その証拠の採否と採用証拠の取調べ順序の決定までも、裁判官主導ですべて行ったうえ、公判では、これにしたがって証人尋問、書証の取調べ等を開始するという構造になっています。

公判途上で浮上したり、明らかになった問題に関する、弁護人などからの新たな証拠調請求は、原則として許されません。

(2) 証拠開示に関する問題(刑訴法316条の25〜27)

公判前整理手続では、証拠開示に関する裁定も行われます。ほんらい、検察や警察の捜査記録とは、国民の税金を使って公務として収集したものであり、国民の共有財産といわねばなりません。それ故に、検察にとっての裁判での有利・不利を問わず、公判前の全面開示が求められるのです。こうしてこそ検察官は「公益の代表者」(検察庁法4条)たり得ます。ところが、刑訴法改定案では、検察に対する証拠開示要件は、極めて限定されるとともに、裁判官がその裁定にむけた判断のために必要と判断するなら証拠の提出を命ずることができますが、この事前判断のために提出させた証拠や証拠の標目一覧は、裁判官以外には一切見せないとするのです。

このようなしくみの公判前整理手続により、第1回公判が開かれた時点で、裁判は事実上終わっているという事態が生じることになります。公判は、実態として、あらかじめ定められた争点と、既に相当程度に形成された裁判官の心証に即して、あらかじめ定められた順序による証拠調によって確認作業を進めていくだけという状況が容易に想定できるからです。おそるべき「予断排除の原則の放棄」であり、近代刑事裁判の放棄というほかありません。

「鳴り物入り」で導入された裁判員は、あらかじめ定められて確定した、争点と証拠調べの範囲・順序についての方針説明を受けて、最初から裁判官の有罪心証を引き継いだうえで、せいぜい量刑についての意見を述べるにとどまるだけの役割に堕する恐れが強く、ここでは、裁判員は単なるお飾りに過ぎません。

(3) 訴訟指揮の強化(刑訴法289条、295条)

   刑訴法改定案は、上記のようなハンディを負わされた被告人・弁護人が、それでも人権救済と社会正義の実現をめざして果敢に法廷活動を展開することに対しても制約を設けています。

   裁判官は、弁護人が行う尋問や陳述に対する制限を行うことができるという規定は現行法にもありますが、刑訴法改定案では、これに従わなかつた場合、「当該弁護士の所属する弁護士会又は日本弁護士連合会に通知し、適当な処置をとるべきことを請求することができる。前項の規定による請求を受けた者は、そのとった処置を裁判所に通知しなければならない。」(295条)との制裁規定を新設しました。

   また、裁判官の唯我独尊的で強権的な訴訟指揮(それは現在の刑事裁判においてもしばしば見られるところです。)に起因して、緊張感が極度に高まるような公判において、「弁護人が出頭しないおそれがあるときは、裁判所は、職権で弁護人を付することができる。」(289条)との規定を導入し、これに対して抗議する弁護人を恣意的に解任できる道を開いています。

4 刑事司法改革の根本をなげ捨てている

絶望といわれて久しい刑事司法の抜本的改革は、国民の切実な、切迫した要求でした。

  疑わしきは被告人(再審請求人)の利益に―この鉄則をすべての刑事裁判で貫徹し、誤判を根絶するための、実効性ある制度と運用の方途を直ちに構築することこそがそれにこたえる道であることは、これまでにも広く指摘されてきたことです。日本国民救援会も、一貫してこれを刑事司法改革の根本にすえることを要求し続けてきました。

少なくない裁判官において、本来その品性と素養の基本にあるべき「疑わしきは被告人(請求人)の利益に」という刑事裁判の鉄則を貫徹させる精神が欠落しており、逆にその反対思想・感性が牢固として存在することを指摘せざるをえない実情にあることが、日々の具体的事件において確認され続けていることが問題なのです。裁判における一切の事実が、憲法と刑事諸法との関係においてどのような客観的意味があるのかということが争われているとき、裁判官がこれを公正に理解する職業的良心を先天的に欠いていたのでは、それは司法の名に値しません。

  刑事司法を抜本的に改革するための、具体的な方策としては、本文の冒頭に掲げた基本に立って、次の諸点が、絶対的に不可欠な課題でした。

  @ 代用監獄を廃止し、捜査過程の全部についての可視化を実現すること

  A 公訴事実を認めなければ保釈を許さないという「人質司法」の運用をやめること

  B 自白偏重、調書裁判に陥らず、予断と偏見を厳しく排すること

C 検察証拠の公判前における全面開示を実現すること

  しかし、2法案は、この内で、Cについては既に批判したとおり、後退であり、その他については、一顧だにしていません。

5 むすび―日本国民救援会は2法案に反対し、抜本的な法案の再提出を要求する

    こうして、2法案は、種々の問題点があったものの一定の民主主義的要求を反映していた「司法制度改革審議会意見書」(2001年6月、「最終意見書」)からも大きく後退して、刑事司法に求められている抜本的改革にはいっさい考慮することのないままに、法廷外における国民の裁判批判を制約するのみならず、法廷活動における被告人・弁護人の権利を現行よりもいっそう弱体化するものであると結論づけるほかありません。無実無罪を争う事件の展開過程を想定すれば、その危険性は深刻なものがあります。

したがって、日本国民救援会は、2法案の制定に反対します。いま一度、戦後司法の出発点に立ち返って、いったん2法案を撤回し、根本的な改革条項をもりこんだ法案の再提出を強く求めるものです。

【 参 考 】 ほんらいあるべき司法改革の姿−日本国民救援会の司法制度改革要求

(2003年7月日本国民救援会第45回中央委員会決定)
@ 最高裁による官僚的統制をやめ、法曹一元の実現を

A 主権者国民の司法参加、陪審制度の実現を。裁判員制度は、社会経験を積んだ国民の常識が事件の真実解明に生かされるよう陪審制度の基本的枠組みをとりいれること

B 国民の裁判批判、知る権利を抑圧する制度は導入しないこと
C 国際的にも批判の強い代用監獄制度の廃止を

D 被疑者・被告人などの取調べにあたっては、弁護士の立会いを保障し、ビデオなどに記録して可視化したものを裁判の証拠として使用できるようにすること

E 検察官手持ち証拠の全面事前開示を

F 無罪判決に対する検察官上訴を禁止すること

G 速記官制度の維持・拡大をはかること、当面速記官の養成再開を
H 国民の裁判を受ける権利をいっそう狭める「弁護士費用の敗訴者負担」は絶対反対

I 弁護士活動に対する国家統制や、不当な規制を行わない


【補 論】

         「国民の裁判批判」と大衆的裁判闘争       

1 裁判批判の根拠

国民による事実と道理にもとづく裁判批判は、憲法上の要請です。さらに国際人権B規約により、この要請は国際的約束にもとづく要請へと、その基盤が広められました。批判の内容・形態は、ともに、多様でなければならず、現に多様ですが、その所以は、憲法・B規約による裁判批判の保障が重層的なものであるからにほかなりません。

@ 国民主権原理による裁判関与権

   憲法前文(1段)、1条、15条(公務員の選定・罷免権)、16条(請願権)、第12条(不断の努力義務)、64・78条(国会による弾劾)、B規約第25条〔参政権〕

主権者国民は、国権三権のひとつである司法権に対して、当然にこれを批判する権利を有しています。刑事司法の手続に、新たに裁判員制度が導入されようとも、そのことを理由として、この権利の制限を合理化するような解釈は絶対に成立しません。司法の根本目的である人権の救済と憲法との適合性を実現させて、裁判所として法の統一解釈をはかることの民主的保障は、司法消極主義・司法の政治主義にいっそう傾斜する判例や官僚的統制などによるものではなく、このような裁判に対する国民の監視と批判でこそ保たれ得るのです。

しかも、憲法(12条)は、「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。」と定めているのです。

A 裁判の公開原則(憲法第82条)

 憲法32条(裁判を受ける権利)、34条(身体拘束の要件、防御権の保障)、37条(不利益供述強要の禁止、自白の証拠能力・証明力)、82条(裁判の公開)

裁判の公開は、現行の措置としては、傍聴の自由を保障するものですが、必然的に報道の自由、批判の自由を含みます。裁判の公開によって、国民に裁判の進行や結果に関する情報を提供するとともに、裁判を国民の監視と批判のもとにおき、これにより、国民の自由と権利を保障し、裁判に対する国民の信頼を獲得することができます。それは、半面で、被告人が密室での裁判により刑罰を科せられるなどの事態が起こらないような、公正な裁判の運用に対する制度的保障ともなるのです。

裁判批判の自由とは、単に論評するのみにとどまらず、事件の真実を広く二次的に知らせ、これにより組織された国民の声を集めて要請する自由を含むものであり、その保障がなければ実質を得ることはできません。

B 表現の自由
 憲法第21条(第1項)、12条(前掲、不断努力義務)、B規約第19条

裁判批判の具体的な行動態様としては、面談の申し入れ、あるいは文書(要請署名や要請決議、要請文等)の送付、音による事件の真相宣伝、出版物の刊行、芸術、その他の表現行為によるほかありません。こうした、被告人に対する無罪判決等を求めて、人間の良心に働きかける運動は、必然的に「節度ある説得」態度が要求されることになり(大衆的裁判闘争の内在的制約)、不法な威力行使などとは無縁のものであることはいうまでもないことです。

C 裁判体およびこれを構成する個々人の「法と『良心』のみによって裁判を行う義務」

 裁判官の独立原則(憲法76条3項)

裁判体を構成する個々人は、独立して裁判実務に関与することが原理であることは自明ですが、独立原則のみによっては、恣意的な判断による誤判の防止は実現できません。憲法にもとづく、民主主義・正義の実現と、国民の健全な常識に呼応する裁判を行うための良心発露は、職業的義務です。

大衆的裁判闘争を展開する事件支援運動とは、最終的には、この裁判体を構成する個々人の人間性に焦点をあてて、良心にもとづいて事実を見、良心にもとづいてこの事実に対する法の適用解釈を求めるという、崇高な国民運動なのです。

2 裁判批判の意義

  @ 裁判所をして真実を守る立場にたたせ、司法における正義を実現する

裁判官への良心義務履行・良心発動に対する要請は、権力による裁判官の身分に対する影響力をもたない一般の主権者国民が行ってこそ、道理ある実効性を保つことができます。かつての「平賀書簡」問題などは、裁判に対する権力的干渉であり、ここでいう裁判批判などではありません。事件支援運動における裁判批判とは、「裁判官も人の子」という立場にたち、真実発見努力による、その人間性の発露を求めるものであり、「世間知らず、常識のない裁判官」から脱却し、最高裁の官僚的統制を柱とする司法反動から「独立」する気概と勇気の奨励、あるいは、そこに向えない裁判官に対する批判と警告を行うものなのです。

 *   1970年北海道長沼町に自衛隊のミサイル基地建設のための保安林指定解除が行われ、住民が札幌地裁に対して、この執行停止を申立てるとともに処分取消の行政訴訟を提起した事件につき、当時の札幌地裁所長平賀健太氏が、事件を担当する福島重雄判事に対して「執行停止を却下するべき」との見解を示した書簡を出し、裁判官の独立を侵犯するものとして大問題になった事件。

かつて、松川事件の差戻審を担当した門田實裁判長は、事件に対する要請署名の意義について「裁判は国民の信頼によって守られる。裁判官の威信も裁判が国民に信頼されて初めて保たれる。だから我々は国民の批判に耐えうるような判決文を書くよう努力したのである。」と述べたことがありました。現場の裁判官もまた、国民の裁判批判の意義を高く評価しているのです。それは、裁判官の資質により様ざまではあっても、なお今日の裁判の現場においても、引き継がれています。

  A 裁判批判運動を通じて、弾圧や権利侵害を許さない抑制効果をつくる

   弾圧・えん罪事件における権力犯罪・違法行為の批判は、事件支援の運動のみならず、判決の理由中に示されることも特異なものではありません。こうした場合の、その後の捜査機関などにおける抑制効果はいうまでもないことです。また、仮に特定事件において、支援運動の結果にもかかわらず敗訴し、無罪判決等の獲得という究極目的が達せられなかった場合でも、裁判中に行われた批判により、その後の抑制効果を引き出す事例は少なくありません。実際、公選法や軽犯罪法その他の事件において、悪法の適用・法の拡大適用・事実誤認にもとづく制裁措置等に対する事件支援運動の結果、爾後その適用の抑制を実現した事例はいくらでも枚挙することができます。

  B 裁判批判運動により、日本の民主主義を確立する土台をつくる

   裁判の内容についての国民的対話による、人権・裁判に対する国民の関心の高揚は、前項の違法行為など抑制効果をもたらすとともに、被告人・弁護人への物的・精神的支援による裁判闘争の支えともなります。こうして、大衆的裁判闘争の展開による事件支援の運動は、広範な国民による裁判批判運動となるがゆえに、この国の民主主義を下支えし、確立する土台をつくってきたのでした。

  C 当事者も支援者も、人間的・人格的変革をとげる

こうして、人間の良心に訴えかける事件支援運動では、その性格からくる内在的制約を自覚し、節度ある裁判批判を展開するために、事件の当事者とともに、自己変革を要請されることになります。自己変革のないところに良心発露の説得力はないからです。これが、大衆的裁判闘争を展開する事件支援運動が、国民の裁判批判の内でも、もっとも崇高な国民運動となる所以です。

3 裁判批判敵視・抑圧の系譜と今回の法案

このように、2法案が国民の裁判批判、なかんずく事件支援の運動を敵視することは決定的な誤りですが、それは、今回唐突に出てきたというものではないことを指摘しなければなりません。

@ 戦前の法制

大日本帝国憲法法制の下、「天皇ノ名ニ於テ」行われる裁判に対する批判の封殺は、幾重にも定められていました。

    ★ 旧々刑法(明治15=1872年)

旧々刑法(明治15=1872年)第141条は、「官吏ノ職務二対シ、其目前二於テ形容若クハ言語ヲ以テ侮辱シタル者ハ、一月以上一年以下ノ重禁錮二処シ、五円以上五十円以下ノ罰金ヲ附加ス。其目前二非スト雖トモ、刊行ノ文書図画又ハ公然ノ演説ヲ以テ侮辱シタル者亦同ジ。」と定め、裁判批判を「侮辱」として、処罰すると規定したのです。

  ★ 治安警察法(明治33=1900年)

治安警察法(明治33=1900年)9条では、「集会二於テハ、…刑事被告人ヲ賞恤(称え、金品を贈ること)若ハ救護…スルノ講談論議ヲ為スコトヲ得ス」として、一律に事件支援運動を禁止しています。

  ★ その「効果」の事例(明治42=1909年5月14日大審院判決)

      このような法制下では、裁判批判の言論が訴追された事件に対して、「適法ナル手続ヲ経テ言渡シタル裁判ニ不法アルモノノ如ク暗示シ、斯ノ如キ不法ナル裁判二因ル処罰ハ社会ノ均シク憤慨スル所ナレバ、受刑者二対シテ多大ノ同情ヲ表スルハ当然ナリ」との趣旨を述べたものと認定したうえで、これが「裁判ノ尊厳ヲ冒?シ刑罰ノ威力ヲ侮蔑シタルモノト謂フベク、結局社会ノ秩序ヲ壊乱スル事項ヲ記載シタルモノニ該当」するという判決(明治42年5月14日大審院判決)が宣告されるのも当然の帰結でした。

こうして、国民の裁判批判を抑圧した戦前の司法は、天皇の名のもとに、立法、行政に従属させられ、弾圧に協力、加担し、数多くの無辜の人々が逮捕・投獄・拘置され、生命まで奪われ、破局への道を進める要因のひとつとして機能しました。このような苦渋の教訓と反省の上に「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないようにすることを決意し」、多くの人権条項をもつ憲法を定め、司法権の独立が宣言されたのです。

A 戦後の言動

     しかし、裁判批判を敵視し、これを抑圧する動きは、戦後になっても続いてきました。

    ★ 「法廷等の秩序維持に関する法律」(1952年9月25日施行)

「法廷等の秩序維持に関する法律」(1952年9月25日施行)は、2条で、「裁判所又は裁判官(以下「裁判所」という。)が法廷又は法廷外で事件につき審判その他の手続をするに際し、その面前その他直接に知ることができる場所で、秩序を維持するため裁判所が命じた事項を行わず若しくは執つた措置に従わず、又は暴言、暴行、けん騒その他不穏当な言動で裁判所の職務の執行を妨害し若しくは裁判の威信を著しく害した者は、20日以下の監置若しくは3万円以下の過料に処し、又はこれを併科する。」と定めています。

ここでは、「裁判所が命じた事項」や「職務の執行を妨害」など、要件に一定の絞りがかかっていますが、その最高裁判所原案では、「事件に関し裁判所又は裁判官をそしり、その他その威信を甚だしく害すること」に対する一律制裁措置となっていたのです。

  ★ 最高裁による、国民の裁判批判敵視

      以後も、法制化への衝動こそ顕現化しませんでしたが、最高裁を中心として、裁判批判を敵視する発言は今日まで続いています。田中耕太郎(最高裁判所長官。当時)の裁判批判「雑音」論の展開(1955〜1960年)が、その代表例です。同氏は、「係属中の事件に対する批判は、それ自体として是認できない」とし、「批判が当を得ていて誤判が免れると、それが例になって裁判批判が続出し、特に大きな事件にあっては批判が冷静を欠き、激情に支配される傾きがあるが、それに政党の利害や人々の世界観の差異がからまってくると、批判は再批判をよび、裁判をめぐって、二つの陣営の対立を生じ、実力ないし暴力の抗争に発展するおそれなしとせず、事件の性質によっては、批判は大衆運動の導火線ともなり、大衆の示威運動に発展し、裁判の否定である人民裁判や私刑にまで発展する危険をはらむことは明らかである。」という、今日では、その「理論」ばかりでなく実態としても荒唐無稽極まりないという評価で決着がついたと断定してよい論陣をはりました。

    ★ 布川事件に見る最近の事例

      しかし、決着がついているとはいえ、最近(2003年3月)の布川事件の例のように、裁判批判を抑圧する行為は途絶えてはいません。布川事件では、再審弁護団が検察官の「意見書」を「桜井昌司さん・杉山卓男さんを守る会」に交付し、守る会がこれを資料集として刊行、守る会ニュースに「意見書」を含む資料集の購入を呼びかける記事を掲載し、そのニュースをインターネットのホームぺージ上で公開したことに対して、検察官が弁護人に対し、「刑事訴訟法上、……(訴訟記録は)広く一般に開示することは許されていない」等として、普及の中止・回収・破棄を求め、さらに今後いっさいの訴訟記録を一般への交付・公開をしないよう求めたうえ、対応いかんでは「弁護人の懲戒処分を申し立てる」と恫喝する「申入書」を送付しています。

4 裁判批判敵視の論拠を批判する

  国民の裁判批判を敵視し、あるいは制限しようとする論拠には、まったく合理性がありません。これまでに挙げられてきたその論拠を、簡単にスケッチし、批判を加えておきます。

 @ 裁判の威信を害するか

   そもそも、裁判の威信の根拠は主権在民原理にもとづく国民の自由な裁判批判の保障にこそあります。裁判の威信とは、こうした国民の裁判監視と批判にさらされて、正義を実現する経過と内容でこそ保たれるものです。道理に耳を傾けることは威信を傷つけないどころか、これを高めるものといわねばなりません。道理のない批判は威信とは無関係であり、また、これに屈したら威信は地に落ちることになります。現在、裁判の威信を害しているものは裁判所の構造的欠陥による冤罪・誤判の続出であることは、本文でも指摘したとおりです。

 A 係属中の裁判に対する外部からの批判は裁判の独立を侵害するか

結論(判決)を待ってからの批判などは、裁判とこれに対する批判・批判報道・事件支援運動の現実を考えれば荒唐無稽のきわみです。だいたい、裁判の独立侵害根拠を、裁判批判一般に求めることなどできません。批判に納得すれば受け入れればよいし、そうでなければ無視すれば足りるのですから、両者は無関係であり、この論拠は詭弁です。法廷外の裁判批判に、裁判官に対して法的義務を生じさせる強制力はありません。現在、実際に裁判の独立を侵害しているのは裁判所および行政府などの権力機関による官僚的統制であることは、いまや国民の常識の部類に属する事実です。

 B 係属中の裁判に対する外部からの批判は裁判官に予断・偏見を与えるか

   このような論拠をもちだすのならば、逮捕・起訴時の報道はどうとらえるのでしょうか。この論拠は、裁判官の良心にもとづく自主的な判断能力がないことを前提にしなければ成立不能の論理です。

 C 事実認定に対する外部の批判(審理に立ち会わない者の事実認定の当否判断)は許されないか

これは、現行の裁判制度を無視するものです。弁論更新後や上訴審の裁判官は、それ以前の審理に立ち会っていません。裁判上の事実にもとづく、論理則・経験則(および科学的法則)による合理性判断は、法廷審理への立会いとは無関係です。少年冤罪・草加事件における血液型の混合などという事実認定の誤りを判断するには、法廷審理に立ち会ったか否か、法律専門家かそうでない者かなどの差異は無関係です。

また、訴訟記録の一部のみで、あるいは訴訟記録外の事実での批判は許されないか、という問題についても、これまでに数多くの事例がある、検察官の証拠隠し、裁判批判運動による証拠の発見、真相究明に不可欠な証拠に対する裁判所における理不尽な不採用決定などの場合を考えると、自家撞着もはなはだしいといわねばなりません。

 D 訴訟記録に一切関与しない者の批判は根拠のない批判として許されないか

日本国民救援会や各種守る会の、記録に関与したうえで行なう事件支援運動を支持して、同様の裁判批判を行う場合、それは日本国民救援会や各種守る会が行なっている批判の根拠以外、別個に独立した批判の根拠がないだけであり、それをもって「裁判記録も読まないままの根拠のない批判」とはいえません。憲法調査会の全議事録を読まない者は、憲法9条を破棄する改憲策動を批判できないというのと同じ類の暴論というべきです。

 E 裁判官は弁明できないから裁判批判は一方的か

裁判批判も、一般の言論と同じで討論の組織化であり、批判に対する反論があり得るのですから、一方的批判とはなり得ません。実際には、裁判官が弁明している(八海事件:藤崎裁判長の著書『裁判官の弁明』等)し、担当外事件を「批判」している(平賀書簡等)ではありませんか。

こうして、国民の裁判批判を敵視し、抑圧しようとする動きは、歴史的にも相当根が深い反人権保障原理、反民主主義的なものであり、時代錯誤の司法観(「お上」の思想、国民愚民視、主権在民否定論)に立ったものといわざるを得ません。

なお、このような国民の裁判批判に対する敵視は、上記の各論拠に見たとおり、事実認定に対する問題に対してとくに過敏であることで共通しています。政府や最高裁は、これまでいくら冤罪・誤判の根絶が叫ばれ、職業裁判官の行なう恣意的な事実認定のシステムの改革を要求されようとも、これについては頑として譲ろうとしていないのです。裁判員法は、公訴事実について争いがない事件については、裁判官と裁判員の構成人数の原則(裁判官3人と裁判員6人)を変更し、裁判員の構成比を増やす(裁判官1人と裁判員4人)との規定(2条2、3項)をおきました。これも、事実認定については、従来どおり職業裁判官が主導することを絶対に譲らず、一方、有罪を前提として量刑を定める場合に限っては、その評決に際して裁判員の意見をより尊重する制度的整備を図ろうとしたことの表れといえます。(もっとも、「法の素人」である裁判員が事件において「国民の健全な常識」を生かすことができるのは事実認定においてこそであり、量刑判断という法律解釈ではないことは明らかです。)

今回の2法案は、このような国民の裁判批判抑圧を法律化するために持ち出したものであり、断じて容認するわけにはいきません。

                                                                 
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