日本国憲法と世界人権宣言を羅針盤に、弾圧事件・冤罪事件・国や企業の不正に立ち向かう人々を支える人権団体

2013年1月25日号

2013年1月25日号  

名張毒ぶどう酒事件 奥西勝さん 獄中で87歳に 「奥西さん救おう」の声、全国で  

 現在、最高裁で再審を求めてたたかっている三重・名張毒ぶどう酒事件の無実の死刑囚・奥西勝さんは、1月14日に87歳を迎えました。奥西さんの誕生日を記念し、全国で再審の扉を開けと街頭宣伝や署名活動が繰り広げられました。

声かけながら
丁寧にビラを

 北海道では、札幌三越デパート前で札幌3支部と道本部の合同の行動として12人が参加して行いました。寒さが緩んだものの地下街に入る市民が多いなかでしたが、支部長ら3人が市民に訴えました。寒いなかでしたが、30分の行動で105枚のビラを配布し、18人の署名協力がありました。函館では5人が参加して、100枚のビラ配布、苫小牧では2人の参加で80枚のビラ配布でした。
 群馬では、12日午後1時から、高崎駅西口で、県本部役員、前橋支部、高崎支部、藤岡支部、伊勢崎支部が参加し、13人で宣伝行動を行い、ビラ450枚を配りました。ある女性役員は、「一人ひとりに声をかけ、話しながら、丁寧に配ったほうが、ビラの受け取りがいいよねー」との感想を言っていましたが、マスコミ報道などの影響か、冤罪事件に対する関心も高まっているようで、学生や若者たちが興味を持って話しかけてくることが増えてきました。
 富山・高岡支部では、獄中で87歳を迎える奥西勝さんの再審開始・釈放をかちとろうと、5人で13日、大和デパート高岡店前で宣伝署名行動にとりくみ、ビラ250セットを配り、署名32人分を集めました。署名に応じた人からは「87歳ですか。気の毒に、早く釈放されなんあかんちゃ」と同情の言葉や、「第二の平沢さん(帝銀事件)にする気か、命を弄ぶ検察と裁判所は許さん。あんたらもがんばってくだはれ」と激励の言葉が寄せられました。
 愛知では、名古屋駅前で、岐阜からも参加し、120人以上の参加で、「35歳のときに無実の罪で囚われて52年」「どうか助けてください」と書かれた87枚のパネルを掲げて市民にアピールしました。

驚きと共感が
署名を結んで

 大阪では、府本部と9支部から20人が参加して、南森町駅周辺で、マイク・ビラ宣伝署名行動を行いました。通行人からは、「そんな事件があるんですか」「50年以上たたかっているんですか。びっくりした」(若い人)、「生きているあいだに奥西さんを取り戻したいですね」(年配の人)、「名張でがんばっているんやなあ、がんばって」と多くの人から声をかけられました。1時間の行動で、ビラ235枚を配り、署名45人分が集まり、近くの食堂から出てきて署名してくれる人もいました。
 山口では、山口市内の商店街で、参加者6人で、宣伝署名行動を行いました。「山口県にも昔、『八海事件』『仁保事件』という冤罪事件がありました。そのときも全国からたくさんの人が支援に来てくれて救い出してくれました」と話すと、「そんなことがあったのですか」「早く助けてあげないと」などの会話を交わしながら、署名に応じてくれました。1時間の行動で、ビラ150枚を配り、53人分の署名が集まりました。

名張毒ぶどう酒事件の映画『約束』 いよいよ2月から各地で!  

 映画『約束』がいよいよ公開されます。2月16日に東京で公開されるのを皮切りに、3月2日から愛知で、春に大阪、神奈川、京都、兵庫、広島で公開の予定です。他の道県は、東京などの観客動員状況を見て、公開が決定します
 また、公開の予定のない県では、4月以降に自主上映会を行うことが可能になります。公開上映が行われる地域では、上映終了後に自主上映会が可能となります。無実の死刑囚・奥西勝さんを救うため、いまから自主上映会の準備に取り組みましょう。

国公法弾圧2事件最高裁判決 言論弾圧裁判で最高裁初の無罪  

言論の自由巡る闘いの歴史  

 国公法弾圧堀越事件で昨年12月、最高裁が無罪判決を出しました。国民救援会が支援してきた言論・表現の自由をめぐる裁判闘争で初めての無罪判決です。「一切の表現の自由は、これを保障する」と刻まれた憲法21条。しかし、戦後数多くの言論弾圧事件がひきおこされ、国民救援会もその先頭にたって果敢に闘いました。長いたたかいの歴史を経て到達した今回の無罪判決。この成果を活かし、言論の花開く社会への一歩を踏み出しましょう。

 1945年夏――長く国民の言論を封殺し、多くの命を犠牲にした戦争が終結します。日本の民主化をめざす運動が息を吹き返し高揚するなかで、基本的人権を保障する日本国憲法が施行(47年)され、世界人権宣言が採択(48年)されました。これらは、後の救援運動の重要な指針になります。
 しかし、日本をアジアの反共の砦とする政策に転換したアメリカ占領軍により、労働運動、民主運動を敵視した攻撃が始まります。占領軍を批判した人が、「占領目的誹謗」などとして逮捕され、軍事裁判にかけられる事例が相次ぎました。占領軍司令官マッカーサーは、47年のゼネストに中止命令を出し、労働運動の押さえ込みをはかります。翌48年には、公務員の争議行為を罰する政令201号を公布します。この政令にもとづき、国家公務員法が改悪され、公務員の政治活動が禁止されました。
 戦争を経てようやく手にした言論の自由。それを守るたたかいがはじまります。

自由な選挙求めせめぎ合い続く

 50年の朝鮮戦争前後になると、アメリカの反共政策を背景に、三鷹事件や松川事件などの謀略事件が発生。白鳥事件、メーデー事件、菅生事件など、警察によるでっち上げ事件が相次いで起こされました。マスコミによるデマ報道が垂れ流されるなか、日本中に正義と真実を求める運動が高まり、ビラやポスター、街頭での訴えなど、あらゆる言論・表現活動が盛んに行われました。その延長線上に、連日10数万人のデモ隊が国会前を取り囲む60年安保闘争がたたかわれます。松川事件の勝利と運動の広がりによって日本の民主勢力は、行動を組織するには、言論・表現活動で人々の共感を呼ぶことが不可欠だという確信を持ちました。
 このことに脅威を感じた支配層は、安保闘争以降、弾圧の矛先を国民の言論活動に集中しました。全国でビラ配り・ポスター貼りへの弾圧が多発します。62年の参議院選挙時には、道路交通法や公職選挙法違反として全国で300人が逮捕されました。選挙弾圧事件が急速に増加し、70年代には最高時、全国で70件もの公選法裁判がたたかわれました。
 しかし、この逮捕・起訴によって大衆的裁判闘争が発展します。法廷内外のたたかいによって、弾圧の本質や狙いが周知され、権力とのたたかい方が蓄積されます。弾圧許すまじという大きな世論が形成され、それを背景に公選法裁判で10件を超す違憲無罪を実現することができました。
 80年代に入ると、反動政治に対する国民の運動の高まりに危機感をいだいた警察により、弾圧が様変わりします。ビラ配りなどに対する取り締まりがより強化されました。さらに、逮捕しても起訴せず、そのかわり「背後関係の捜査が必要だ」として、家宅捜索によって組織名簿や内部資料などを押収し、組織破壊を目的とする弾圧が各地で多発しました。公選法裁判で勝ちとった一連の違憲無罪判決も、すべて最高裁で破棄され有罪とされました。
 90年代に入ると、全国に生活安全条例が制定され、地域住民による防犯活動が活発化します。大阪では、環境美化を口実に、住民ボランティアによって街中のポスターが撤去されました。街宣活動に対する妨害は、警察官による直接介入が姿を消し、住民からの苦情など、一見もっともと思える理由を口実に干渉がおこなわれるようになりました。
 2000年代、イラク戦争が勃発するなか、小泉内閣のもとで自衛隊の海外派兵への道筋がつけられ、国民の生活をないがしろにしたまま、「戦争する国」づくりへかじ取りが進みます。こうしたなか、2003年の公選法弾圧大石市議事件にはじまり、立川自衛隊官舎ビラ配布事件、葛飾ビラ配布弾圧事件国公法弾圧堀越事件・世田谷事件が相次いで引き起こされました。一連の事件は、日本を海外で戦争できる国に作り変えようとする勢力が、それに反対する広範な国民の声をおしつぶそうとする狙いがありました。特に国公法弾圧事件については、有事体制を作るうえで、思いのまま公務員を従わせるための必要性からひきおこされたものでした。

表現の自由拡大成果を広げよう
 国公法弾圧2事件は、言論・表現の自由と公務員の市民的な権利を守るたたかいとして位置づけられ、国家公務員の政治活動を全面的に刑罰で禁止する国公法と人事院規則を合憲とした1974年の最高裁猿払判決を変更して、「国公法は憲法違反」との判断をするよう求めてたたかわれました。
 判決は、憲法で保障された表現の自由を前提に、禁止される「政治的行為」は、「公務員の職務の遂行の政治的中立性をそこなうおそれが実質的に認められるもの」と禁止の対象を限定し、一律・全面禁止とした猿払判決を事実上変更しました。これまでの選挙弾圧事件やビラ配布弾圧事件をはじめとした、長年にわたる言論・表現の自由を求める裁判で、厚い壁とされてきた最高裁が無罪を言い渡したことは大きな前進です。「表現の自由」「知る権利」が保障されることが一層求められているなかで、今回の無罪判決によって、国家公務員のビラ配布など政治的権利が大きく拡大しました。さらには、公選法の規制を合憲とする根拠としても使われてきた猿払判決を見直したことは、国民の言論活動の権利の拡大の力にもなるものです。
 この成果を活かすことが次のたたかいです。都道府県本部・支部で今回の判決の意義について大いに学び、確信を広げましょう。労働組合や民主団体での報告活動も大切です。そしてビラ配りや宣伝活動などの言論活動に旺盛にとりくみ、私たち国民の大切な権利を広げましょう。

〈資料〉国公法弾圧2事件 最高裁判決全文 53頁・100円 
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弾圧との闘いは救援会の出発点  

 1920年代後半、日本は大正デモクラシーを経て、労働者や農民の運動が高揚し、各地で労働争議や小作争議が起こりました。一方、強大な権力で国民を支配する絶対主義的天皇制政治のもと、治安維持法による弾圧が強められていきました。
 27年におこった千葉の野田醤油争議では、警察と暴力団が介入し、労働者に熾烈な弾圧が加えられます。そのたたかいの支援を直接の契機として、後の国民救援会となる「解放運動犠牲者救援会」の結成準備が始まったのです。
 その組織づくりの途上である28年3月、日本共産党員1500人余が検挙される3・15事件が起こされました。救援会は「準備会」の段階でしたが、犠牲者が出た地域すべてに支部を作り、抗議や救援の行動を起こしました。裁判闘争では、非公開だった裁判を公開させるたたかいや、傍聴者の組織がおこなわれました。それが救援会の最初の活動となったのです。
 思想信条、階層の枠を超え、大衆的な運動によって弾圧とたたかう組織として結成された国民救援会。その意義と伝統は、今日の救援運動にも受け継がれています。

言論弾圧事件 たたかった元被告4人の声  

 堀越事件と同時期に起こされた4つの言論弾圧事件。連帯して闘った元被告に、今回の最高裁無罪判決をどう受け止めたか聞きました。

憲法を守って胸張り生きる
 国公法弾圧 堀越事件堀越明男さん

 8年9カ月の裁判闘争が終わり、被告人の肩書きがなくなって初めての新年です。なんとなくホッとした感じがしていると同時に、今後の人生に胸を張って生きていけるかなと思っています。
 多数のたたかう弁護団と、証言していただいた学者のみなさん、支援する会や国公法共闘会議や国民救援会など、多くの方の協力で、日本一の裁判闘争ができたと思っています。
 裁判の途上、イラク自衛隊派遣違憲訴訟や、自衛隊国民監視裁判で勝利判決を勝ちとりました。9条の会も全国で7千を超える数を組織し、草の根の運動が広がりました。公選法違反や住居侵入罪で弾圧された事件との共同のたたかいも果敢に繰り広げられました。どのたたかいも、日本国憲法が原点だということを位置づけてのたたかいでした。こうした国民の運動が前進したことも相まって、権力の思惑を打ち破ることができたように思います。
 憲法を守には国民の不断の努力が必要です。今後も、憲法を守る立場で精一杯生きていく決意です。長年のご支援、本当にありがとうございました。

公安の狙いは打ち破られた
 世田谷国公法弾圧事件 宇治橋眞一さん

 堀越さんの事件が起こされた当時は、自衛隊のイラク派兵が問題になっていました。そのなかで公安警察が自らの地位向上を狙って、堀越さんを尾行・盗撮して、無理やり起訴した異常な背景を考えると、最高裁での無罪判決はよかったと思います。
 ただし、判決の内容についてはきわめて不満です。国公法と人事院規則の解釈を変えただけで、法令そのものは残っているからです。戦後、GHQの命令によって、国公法が改悪され、政治的行為が厳しく制限されるようになったとき、人事院が通達を出しています。その内容は、文言どおりに適用せず、行為の内容や、勤務時間の内外、職務の内容とその行為との関連などを考慮したうえ、社会通念に照らした上で判断しろというものでした。判決が占領下の人事院の通達レベルでしか判断できなかったのは、政治的な判断が入ったと思わざるを得ません。
 それでも、公務員には政治的権利がないとされてきたなかで、権利があるということを示した点は大きいと思います。
 国家公務員の置かれている状況は厳しいものがあります。賃金裁判もやっているし、社会保険庁の分限免職の問題もあります。そういったことと絡めて、憲法違反の国公法を許していいのかという運動を一体的にやっていくことが必要でしょう。今回の判決は、国民と一緒にそういう運動をしていくことの足がかりになったと思います。

共にたたかい成果が実った
 公選法弾圧大石市議事件 大石忠昭さん

 公務員であっても、私人としての政治的行為は自由だというところまで追い込んで無罪を勝ちとったのは大きな成果です。大法廷に回付せよと18万の署名を集め、要請行動を繰り広げました。かつてない規模で広がった運動が最高裁を動かしたと思います。
 私の事件の弁護団のひとりから届いた年賀状に、「大石さんのたたかいが実を結びましたね」と書いてあり、とても嬉しく思いました。私の事件は高裁で公民権停止を外させ、最高裁まで追い詰め、国連に行き日本の人権状態を訴えました。その結果、国連自由権規約委員会から日本政府に対して、戸別訪問の禁止やビラ配布の規制はおかしい、公務員の政治活動を禁止していることもおかしいと勧告が出ました。私の事件は、勧告が出る前に判決が出ましたが、今回の最高裁判決に、この勧告が影響していることは間違いありません。共にたたかった成果を感じています。

権利守るには行使しかない
 葛飾ビラ配布弾圧事件 荒川庸生さん

 堀越さんを無罪とする一方、宇治橋さんを有罪としたことは、政治的な判断が働いたのでしょう。「バランス」を取ったことがうかがえ、怒りを感じています。当事者の一人としては、無罪判決についての評価よりも、批判のほうがはるかに大きい。猿払判決については生かしたままで、国公法の問題点とキチっと向き合っていない杜(ず)撰(さん)な判決だと思います。
 ただ、2000年半ばから、いくつかの言論弾圧事件のたたかいがあったことが、今回の判決に大きく影響していることは間違いないと思います。05年の宇治橋さんの起訴以降、ビラ配りをめぐっての起訴事件はありません。たたかいがなければ、弾圧はエスカレートしていきます。この時期の闘争が弾圧を食いとどめる作用をもたらしたでしょうし、堀越さんが高裁、最高裁で無罪判決を勝ちとったことにも大きく影響していると思います。
 法律は違うにしても、国家公務員がビラを配って無罪になるのですから、一般市民がビラを配っても犯罪になるはずがありません。私は、以前と変わらずビラを配っています。判決にかかわらず、ビラを配ることによって自らの「ビラ配りの権利」を守る。当たり前のようですが、それが一番大切なことだと思います。

兵庫・養父市議選干渉 警察は不当捜査を止めよ 抗議集会に125人参加   

 昨年10月に行われた兵庫県養父市議会議員選挙後、養父警察が市民に不当な捜査を行っている問題で、1月12日、「警察の不当な捜査に抗議する集会」が行われ、125人が参加しました。

 養父警察は、市議選後、市民宅を次々と訪問し、選挙中に届いたとされる郵便物を提出させたり、調書をとったりしていることが明らかになりました。また、警察官に呼び出しを受けている市民もいます。
 地元の支援者と国民救援会兵庫県本部、昨年7月に結成した但馬支部は、昨年11月より警察の不当な捜査をやめさせる運動を広げています。
 1月12日に養父市内で行われた集会には、地元の支援者と県本部、各支部から125人が参加しました。
 集会では、これまでの取り組みを報告。そして参加者から「39年前の八鹿高校事件の時、警察は暴行を受けていた先生たちを助けず、ただ傍観していただけだった。そんな警察がなにをするのか」。「市民の安全を守るべき警察が市民に不安を与えている。この恐怖は39年前と同じです」。「警察と立ち向かう国民救援会を知って大切な組織だと思いました」など次々と発言。国民救援会兵庫県本部の藤木洋子会長からの連帯の挨拶のあと、不当逮捕とたたかった加藤寛治さん(神戸市西区ポスター事件)、井上恭子さん(加古川公選法事件)を紹介。集会にかけつけた国民救援会広島県本部の祝(ほうり)一行さんからは、自らの公選法弾圧事件での不当逮捕の経験をふまえて「不当な捜査をやめさせるまで頑張りましょう」と挨拶しました。
 最後に「不当捜査をやめさせる市民の会」の結成と請願署名を広げることを提起しました。
 集会後、参加者は、養父警察署前に集まり、請願行動。申し入れと同時に参加者は次々とマイクを手に警察署前で市民に事件を知らせ、支援を呼びかけました。(県本部)

〈激励先〉〒650―0022 神戸市中央区元町通6―6―12 山本ビル 国民救援会兵庫県本部

宮城・北陵クリニック(筋弛緩剤冤罪)事件 確定判決の根拠崩れる 検察、主張を180度転換 仙台地裁  

 昨年2月10日、仙台地裁に守大助さんの再審請求書を提出した仙台筋弛緩剤冤罪(北陵クリニック)事件の再審請求審で、検察は12月20日、弁護側の主張に反論する意見書を提出しました。この意見書で、検察は従来の主張を180度転換し、また、鑑定資料を全量消費していたとの確定審の言明がウソであったことが明らかになりました。

 守大助さんを有罪とした一審の仙台地裁判決は「べクロニウム(筋弛緩剤マスキュラックスの成分)については、各鑑定資料から未変化体が検出されたため、それ以上に代謝分解物まで調べる必要性が認められなかった」と認定、高裁判決でも「本件各鑑定資料中に存在したべクロニウムの脱アセチル化した変化体を検出したものでないことは明らか」と認定していました。つまり、両判決ともに「未変化体」であると認定していたのです。
 しかし、今回、検察側は意見書において、患者の点滴液、血清、尿からべクロニウムの未変化体が検出されたとする従来の主張を180度転換させ、検出されたものは、べクロニウムが加水分解した変化体であると述べています。
 さらに、確定審で土橋鑑定人は、鑑定資料は鑑定書作成時に使い果たしていることを繰り返し公判で証言しており、確定判決も、「各鑑定資料は、鑑定の過程で全量が消費されたことが認められる」と認定していました。
 ところが、検察は今回の意見書において、土橋鑑定で鑑定資料を作成・提出した後、資料は残存しており、冷凍保存していたことを明らかにしています。それだけでなく、残存資料の存在にもかかわらず、「全量消費した」と主張したのは、この資料を分析した結果、弁護側の指摘したイオンが検出されており、補足資料を作成していたが、これは「請求人にとって極めて不利な証拠となりうるものであり、請求人らに有利に働く余地がないと考えられる」等の理由から、「証拠化やひいては公判提出を見送ったものである」と、あたかも請求人(守大助さん)のためにウソをついたといわんばかりの主張をしています。
 検察側意見書のこれらの主張は、守大助さんを有罪と認定した仙台地裁の一審判決を根底から揺るがすとともに、公務員として絶対に許されない捜査機関の実態を白日の下にしたものです。
 有罪の最大の根拠となった大阪府警科捜研の鑑定(いわゆる土橋鑑定)の信用性が完全に否定されたことは明らかであり、裁判所は、直ちに再審を決定するべきです。

ゴビンダさんを支える会が人権賞を受賞  

 無実のゴビンダさんを支える会が、東京弁護士会の人権賞を受賞し、1月10日、東京・霞ヶ関の弁護士会館で授賞式が行われました。支える会が、ゴビンダさんの無実を訴え続け、ゴビンダさんとその弁護団を支え、再審無罪判決という成果に結びつき、日本の刑事司法において大きな役割を果たしたと評価されたものです。授賞式には、支える会の代表のひとりである蓮見順子さん(写真右)や事務局長の客野美喜子さんなど支える会のメンバー14人が出席しました。

東京・痴漢えん罪西武池袋線小林事件 指動かず、犯行不可能 強皮症専門医が証言 東京地裁  

 2005年3月、西武池袋線の車内で、「陰部に指を3分間出し入れ」されたなどと述べる女性と、小林卓之さんを私人逮捕した男性の証言のみで、懲役1年10月の有罪判決となり、服役し、仮釈放後再審請求をした西武池袋線痴漢冤罪小林事件について、東京地裁(細田啓介裁判長)は昨年12月28日、小林さんの主治医の証人尋問(非公開)をおこないました。
 証人は、強皮症の専門医であり、一審では、別の医師が小林さんは腱(けん)鞘(しょう)炎で犯行は不可能という判断をしていましたが、今回の尋問により、小林さんは、事件発生時から全身性の強皮症という別の病気であり、犯行は不可能であることが明らかになりました。
 小林さんを有罪とした最高裁決定は、補足意見で右手人差し指については可動制限や痛みの発生があったが、右手中指については可動制限や痛みの発生はなかったと判断しています。
 主治医は、全身性強皮症では1本の指だけ動き、他の指は動かないということはありえず、腱鞘炎は指を動かすと痛みを発生する(可動痛)が、強皮症は指を動かさなくても、指の末端に物が触れただけでも痛い(自発痛)ということを説明しました。主治医の証言により、確定判決が言うような手指を下げて触るなどということは不可能であることが明らかになりました。
 報告集会に集まった30人の支援者に小林さんの長男は「父が有罪判決を受け服役し、家族は時間が止まっていたような日々でした。今日の報告を聞いて、父の無実を早く証明したいと思います。今後とも、ご支援よろしくお願いします」と挨拶しました。
 支援する会では再審開始と無罪確定をめざして、署名をさらに広げ、要請行動もおこなうことなどを確認しました。

〈要請先〉〒100―0013 千代田区霞ヶ関1―1―4 東京地裁・細田啓介裁判長

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