日本国憲法と世界人権宣言を羅針盤に、弾圧事件・冤罪事件・国や企業の不正に立ち向かう人々を支える人権団体

12年9月5日号

12年9月5日号  

滋賀・JR山科京都駅間痴漢冤罪事件 10月29日判決へ  

<インタビュー>無実を訴えたたかう 柿木浩和さんと妻・伸子さん

――逮捕のときは。

●浩和さん
 事件のせいで息子が学校に行けてないと聞きました。留置場に面会に来た息子に「俺はやってないから、胸張って学校行け」と言いましたが、子どもや妻のことを思うとなんとしても無実の罪は晴らさないといけないと思いました。

○伸子さん
 苦しんでいる子どもを守らなアカンと、気の張った毎日でした。それと、事件の報道があまりにもひどくて、これは事実じゃないと、必死で多くの人に知らせました。一軒一軒電話しました。ほとんどの人が「よく知らせてくれはりました。先生がそんな事するはずない」と喜んでくれました。真実を知らせるってこういうことだと思いました。

――現場を目撃していた人が名乗り出ましたね。

○伸子さん
 ドラマみたいでした。各駅で一斉にビラまきをしたら、刑事の怪しい動きをすぐ後ろで見ていた人が、名乗り出て、裁判で証言までしてくれはりました。

●浩和さん
 涙が出ました。なんの得にもならないのに正義感だけで出廷して、堂々と証言してくれました。それに比べて、現場にいた刑事3人は、みんな平気でウソをつくんです。

――つらいことも多かったと思いますが。

○伸子さん
 夫婦で揉めることが一番しんどい。裁判だけでなく、仕事、家のこと、2人の息子たちのことを一生懸命やっているから疲れもピーク。お父さんも裁判の節目ごとに、しんどいもんを抱えてくる。そんなとき、私の心ない一言でお互いの限界点を超えてしまうと、家のなかは嵐です。誰と闘っているのかわからない。私は丼茶碗を床に投げつけて泣きわめき、お父さんは壁を殴りつけて穴ボコを…。家のあちこちポスターが貼ってあるのは、その傷跡です。どっちからともなく「ごめんな」で収まり、傷はいつの間にか癒えながら、だんだん強くなっている気がします。

――浩和さんは教師としてもつらい思いを。

●浩和さん
 生徒に会えないのがしんどかったです。いじめられている子やリストカットしている子、不登校の子たちが心配でした。そういう子らが嘆願書を書いてくれたり、集会で訴えてくれたり、車椅子の生徒が街頭で僕の無実を訴えるビラを配ってくれました。生徒や保護者から来た200通の手紙を読むと頑張らないかんと思います。

――裁判闘争を通して。

●浩和さん
 国民救援会を知り、人のために頑張っている人がたくさんいることに驚きました。目撃者が現れたことや署名など、すべて多くの人たちのおかげです。無罪をとって学校に戻り、多くの生徒を救いたいと思います。

○伸子さん
 このたたかいを通して、中学、高校時代の仲間や、一生の中で出会わないだろうと思っていた人たちが、こんなにも一生懸命支援してくれるということに感謝の気持ちです。私らが生きてきた人生、見えてなかった人とのつながりが見えて、信頼できる人たちの中で生きてこれたことを実感できて、強くさせてもらえました。
 署名を集めてくれた人たちから、「柿木先生のおかげでいろんな人とつながれました」と言って、逆に「ありがとう」と言ってもらえました。足を運んで、私らのために頭を下げて人に頼んで集めてくれはった署名は、みなさんの努力の結晶です。人を助けるために全身全霊で、しかも人とつながりながらたたかう方たちには感謝の気持ちで胸がいっぱいです。

――いよいよ判決です。

●浩和さん
 無罪判決めざして、中学や大学の同窓会、教え子の試合、生徒、保護者が集まるところに顔を出して無実を訴え、署名をお願いしています。こちらが正々堂々と公のところに出ていくのが大事だと思っていますし、自分のため、家族のため、社会正義のために、支援が広がってほしいと思っています。

○伸子さん
 この人が教師になるための20数年の苦労をずっとそばで見てきました。19回目の採用試験で合格、42歳で念願の教員になりました。担任を持つようになってからは、不登校や問題を起こす生徒をすすんで引き受けて学校に通えるようにしてきました。こんなに生徒を大切にする人が、痴漢などするはずがありません。一日も早く、元気に仕事に出かける明るいお父さんを返してほしいと願っています。
〈無罪要請先〉〒604―8550 京都市中京区菊屋町 京都地裁・市川太志裁判長
〈署名の問合せ先〉国民救援会滋賀県本部 筍娃沓掘複毅横院烹横隠横

冤罪被害者との面会記 東住吉冤罪事件 青木惠子さん  

 火事で長女が死亡したことが、青木惠子さん(48)と朴(ぼく)龍(たつ)晧(ひろ)さん(46)による保険金目当ての放火殺人事件として、無期懲役が確定し再審を求めている東住吉冤罪事件。国民救援会の山田善二郎顧問が、和歌山刑務所に収監されている青木さんに面会した様子を紹介します。

 全国大会最終日(7月30日)の午後、和歌山刑務所に収容されている青木惠子さんと面会しました。青木さんは、東住吉冤罪事件で無期懲役が確定しましたが、さる3月7日、大阪地裁で再審開始と刑の執行停止の決定をしました。ところが検察側の異議申立てを受け入れて、刑の執行停止を取り消した大阪高裁の不当な決定により、いまだに刑務所生活を強いられています。

 午後2時20分刑務所着。ただちに面会を申し込みましたが、3つの面会室は2つしか使用されず、先着の面会者が3組いたため、待たされることおよそ1時間。ようやく面会できたのは3時10分過ぎごろでした。面会時間30分、立会った看守は中年の女性でした。
 アクリル板を境に対面した青木さんは、大阪拘置所で面会したときにくらべて非常に落ち着いて逞(たくま)しくなり、話しの内容もしっかりと筋が通るものでした。いろいろ交わした会話の中心、刑の執行停止の早期実現に絞って「面会記」とします。

 再審開始・刑の執行停止の決定を受けた青木さんは、着物を着替えて出獄の時刻を心待ちにしていました。ところが検察側が地裁の決定に不服を申立て、これを受け入れた大阪高裁が刑の執行停止を取り消してしまったのです。「本当にがっかりしました」と話したそのときの彼女の顔には、悔しさがにじみ出ていました。
 その直後、弁護団が高裁決定に対する特別抗告、つまり「執行停止を取り消した大阪高裁の決定を取消して、青木さんらを釈放するよう」申立てました。これを審理している最高裁第3小法廷は、それからすでに4カ月も経過しましたが、なんの音沙汰もありません。青木さんは、最高裁のこの遅さに、抑えがたい苛立たしさを顔に浮かべて批判して言いました。「あの火災から17年、亡くなった娘の供養を自分の手でしてあげたい」と訴える青木さんの心情が痛いほど胸をつきます。

 再審制度は、無実を訴え再審を求めている人を救済するためのヒューマニズムに基づく制度です。東電OL殺人事件の場合、東京地裁の再審開始と刑の執行停止の決定に東京高検がなした異議申立てを、東京高裁はその日のうちに退け、7月31日には、検察側の異議申立てを棄却して東京地裁の開始決定を追認しました。最高裁は、東京高裁がゴビンダさんの再審請求を扱ったように、青木さんの切実な要求に迅速に応えるべきです。4カ月も沈黙をつづけていることは、怠慢というほかありません。
 東住吉冤罪事件の再審裁判は、まず、青木さんたちを釈放し、その上で再審裁判をおこない、2人に無罪を宣告する、そういう道筋で進むべきではないでしょうか。
 私はそのために、力を尽くす事を青木さんと約束して、刑務所をあとにしました。

滋賀・日野町事件 大阪の会結成へ  

 無実を訴えながら亡くなった阪原弘(ひろむ)さん(享年75歳)の遺志を引き継ぎ、3月30日に遺族が第2次再審請求をおこなった滋賀・日野町事件
 大阪では、遺族による再審請求を支援するために、再審無罪を求める大阪の会を結成することになりました。
 呼びかけ団体の、えん罪日野町事件・再審無罪を求める大阪の会準備会と、国民救援会大阪府本部は、結成総会への参加を呼びかけています。
〈日時〉 9月6日(木)午後6時30分
〈場所〉 大阪グリーン会館
〈問合せ先〉 国民救援会大阪府本部 筍娃供複僑械毅粥烹沓横隠

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