日本国憲法と世界人権宣言を羅針盤に、弾圧事件・冤罪事件・国や企業の不正に立ち向かう人々を支える人権団体

11年8月25日号

11年8月25日号  

大きな前進勝ちとろう 第57回 中央委員会開く  

 日本国民救援会第57回中央委員会が7月30日と31日、東京・平和と労働センターで開かれ、中央委員、中央役員など約100人が参加し、熱心な討論がおこなわれました。会議では、この1年間のとりくみを総括し、来年夏の第56回全国大会にむけ、事件支援でも組織拡大でも大きな前進を勝ちとろうとの方針を全会一致で採択しました。
 会議の冒頭、東日本大震災で亡くなられた方がたに黙祷を捧げました。討論では、被災した岩手、宮城、福島3県本部の代表が特別発言をおこない、全国からの支援へのお礼を述べるとともに、被災の実態や救援活動や、復興にむけた決意を語りました。原発問題では、原子力エネルギーから自然エネルギーに政策の転換を、との福島の代表の発言を受け、確認しました。
 事件支援では、この1年間の前進・成果を確認しました。国公法弾圧事件では、最高裁署名が31都道府県本部・174支部で会員数を超え、現在の12万署名に大いに貢献したこと、20万署名めざし、地域で民主団体共同の運動に発展させるために奮闘することを確認しました。また、冤罪事件で、足利事件につづき、布川事件で再審無罪判決を勝ちとった成果を確認し、この再審の流れを名張毒ぶどう酒事件福井女子中学生殺人事件東電OL殺人事件などの勝利へむすびつけようと決意を固め合いました。
 救援運動の前進のなかで、国民救援会への期待が大きく広がっており、これに応え、会員を増やし、支部を軸にした組織拡大・強化をすすめようとの発言が相次ぎました。発言では、拡大の条件が広がっており、会員や支部に率直に訴えれば力を発揮することなどが発言され、5万人会員をめざし、全国で奮闘することを意思統一しました。(関連記事3〜5面)

再審めざし重要局面 名張事件 毒物鑑定結果9月にも  

9月10日全国支援集会成功を  

 名張毒ぶどう酒事件の再審をめぐる審理が、この秋に山場を迎えます。名張ネットワークと国民救援会は、9月10日の全国支援集会を成功させ、世論で再審を勝ちとろうと奮闘しています。
 審理の焦点となっているのは、奥西勝さんが犯行に使用したとされる毒物の農薬・ニッカリンTをめぐる鑑定です。「飲み残しのぶどう酒から検出された農薬はニッカリンTではない」とする弁護団の鑑定により、奥西さんの「自白」が強要された虚偽のものであることが証明され、05年に再審開始決定が出されました。検察の異議申立てによって決定が取り消されましたが、最高裁は「(検察の主張は)科学的知見に基づかない」として、再審を取り消した決定を破棄して名古屋高裁に審理を差し戻しました。
 差戻し審で検察は、新たな主張を持ち出しました。弁護団は、奥西さんの早期の再審確定と検察の非科学的主張を打ち破るため、名古屋高裁が求めるニッカリンTの再製造と成分分析に同意。9月には、鑑定人による鑑定結果が出されます。ところが、弁護団の主張を裏付ける鑑定結果だった場合、検察はなおも新たな実験をする旨を主張しています。
 85歳の奥西さんに残された時間はありません。際限のない化学論争で審理を引き伸ばすことなく、鑑定結果が出たら裁判所は直ちに再審開始決定を出すべきです。名張ネットワークと国民救援会は、死刑判決から42年目の9月10日に全国支援集会の開催を決定しました。世論を高め、再審を勝ちとる力にしようと集会の成功に向けて奮闘しています。

「集会へ行こう」各地で呼びかけ広がる  

 全国支援集会に多数の代表を参加させようと、各地でとりくみが強まっています。
 集会開催地の愛知では、各団体を回って集会への参加を組織し、街頭宣伝でも支援を訴え集会参加を呼びかけています。要請した先では「参加しますよ」と協力が広がっています。
 東京では、「布川の次は名張だ」という強い意気込みのもと、東京守る会が作成したビラを配布し、都内各支部に参加要請。7支部が代表派遣を決めており、参加はさらに増えつつあります。江戸川支部では、事前学習会を計画。「事件のことを学んで集会に参加したい」と、事務局長の佐野〓(※)桶さんは話しています。
 兵庫では、25人を目標に参加者を募り、県内各支部や団体に参加を呼びかけています。昨年救援会に入会した会員は、関西えん罪連絡会の集会に参加して、冤罪犠牲者の救援に強い情熱を持ち、「私は中途半端はイヤな性格なので、のめり込むかもしれない」と全国集会への参加を表明。一方、参加できない旨を記した手紙とともに、カンパを同封した手紙も。県本部事務局の大藤信子さんは、「奥西さんに思いを寄せている方は、多くいます。その思いも持って集会に参加したい」と話しています。
 大阪では50人を目標に、特別面会人の早川幸子さんとともに団体や労組を回り、集会参加を訴えています。府本部常任委員会では、「昨年の狄祐屬虜伸畊堝阿紡膾紊錬苅蛙融臆辰靴燭里如△修譴鮠絏鵑覽模で参加したい。奥西さんに残された時間は限られており、力を集中しよう」と確認しています。

※〓は、「鉄」の異体字、「失」が「矢」。

国公法弾圧2事件の勝利へ 学習決起集会記念講演  

最高裁で何を問う

立命館大学教授 大久保史郎さん

国公法弾圧堀越事件と世田谷国公法弾圧事件の勝利をめざし、7月8日に東京で開かれた学習決起集会で、立命館大学の大久保史郎教授が「国公法弾圧事件、最高裁で何を問うか」と題して記念講演をおこないました。その要旨を紹介します。(文責=編集部)

 国公法弾圧2事件の上告審裁判はどういう意義・目的を持つか――まず第1に、最高裁に対して、市民的・政治的活動の自由が憲法上の権利であることを正面から認めさせること、第2に公務員の政治的自由を認め、保障させることによって、日本の行政と公務員制度を刷新する契機とすること、そして第3に、司法とくに最高裁が違憲審査権を行使し、憲法が付与した本来の役割を果させることによって、日本の政治・行政を立て直す契機とすることです。この3つの観点から本件裁判をとらえることが大事だと思います。

狙われた事件  

 堀越事件は2004年に、世田谷事件は05年に起きました。04年は自衛隊のイラク派兵が始まった時です。公安警察は、01年のアメリカ同時多発テロ以来、安心・安全体制づくりを進め、市民運動、政治活動に対する「先制攻撃」を狙っていました。その一つが市民のビラ配布への新たな弾圧で、立川事件や葛飾事件のように一般市民には「住居侵入罪」を使い、国家公務員に対しては国公法の政治活動禁止を活用することでした。
 また、05年は改憲策動がピークに達した時期です。2000年に憲法調査会が発足し、05年に最終報告があり、各党が改憲草案をつくり、改憲のための国民投票法も制定されました。この時、改憲の国民投票時における公務員や教員の意見表明を規制する動きがありました。しかし、憲法改正の国民投票は通常の政党選挙とは異なり、日本の将来についての国民全体の意思決定の場です。これは地位、立場に関係なく、公務員・教員であることは禁止の理由になりません。
 この国公法の発動・起訴案件は実に30余年ぶりでした。最高裁が国公法と人事院規則による国家公務員の政治活動の全面禁止を無理やり合憲としたのが74年の最高裁猿(さる)払(ふつ)判決で、これは違憲無罪の下級審判決を覆し、最高裁内部の有力な反対意見を無視した判決です。それだけに、その後30年、この禁止条項は発動できなかったのです。
 70年代は、73年の石油危機を転機に日本の政治・経済が大転換した時期で、裁判では、大きな最高裁判決が続々と出た時期です。残念ながら、これらは66年の全逓東京中郵事件、69年の都教組事件判決などの憲法尊重の判決を覆す「司法反動」の産物でした。(73年の全農林警職法事件判決や三菱樹脂事件判決、77年の名古屋中郵事件判決など)。その後の80年代の日本は「経済大国化」し、中曽根行革が始まるなかで、日本社会の肥大化が進行しました。そして、90年代にバブルがはじけて、「失われた10年、20年」となり、切り捨てと効率化の行政改革、「格差・貧困」の構造改革が強行されました。
 こうして、本件上告審は久しぶりの本格的な憲法裁判として、74年の最高裁猿払判決の見直しを要求し、同時に、この間の日本の政治・経済・社会を問い糾(ただ)す裁判となったのです。

いま覆すとき  

 堀越事件で東京高裁の中山隆夫裁判長は、「適用違憲」判決の際に、「まだ最高裁があるぞ」と言い、公務員制度改革の中で、禁止規定が見直されるべきことを付言しました。他方、世田谷事件で東京高裁の出田孝一裁判長は、合憲・有罪判決を出して、30年前の猿払判決の死守を唱える、伝統的な治安優位の典型な刑事裁判官でした。こうして、最高裁では70年代からの変化を試みる流れと死守する流れの2つがぶつかるわけです。
 戦後日本の裁判所の伝統は、市民的自由・政治的自由の領域における徹底した治安警察型判決です。その代表例が、安保条約反対の国民運動を弾圧する公安条例を合憲とした60年の東京都公安条例判決で、最高裁は、デモ行進はいつ暴発し、デモ隊は暴徒化するかもしれないから、これを予防的に規制していいとしました。60年代後半に、こうした判決に批判的な判例が出てくると、この動きを阻止するための「司法反動」が仕組まれ、その代表例が74年の最高裁猿払判決でした。ここでは、公務員に少しでも政治活動の自由を認めると、公務員は行政組織を大混乱に陥(おとしい)れる、暴走することを想定して、これを予防的に禁圧する国公法が必要であり、合憲だというのです。猿払判決は公務員にとどまらず、市民一般の表現の自由、政治活動の自由を敵視し、これを抑圧する憲法判例の真ん中に居座っているのです。
 猿払判決は70年代の「司法反動」の産物であると言いました。「司法反動」は、戦後憲法で育った裁判官たちの台頭を押さえ込み、排除しようとしたものでした。この時打ち出された裁判官像が国民の政治的自由を危険視し、これを国家の統制の下におく裁判官であり、これを推進する司法行政でした。これが、公務員の市民的・政治的自由を敵視し、全面的に規制する猿払判決を支えています。したがって、猿払判決を覆す、変えるとすれば、自らの裁判官像も問われます。だから、中山判決が裁判官の政治活動の規制と比較して、行政公務員の政治活動の制限を検討したり、70年代からの世論の変化、国際動向に言及したことは不思議ではありません。
 最高裁はこれまで、国民主権・民主主義の基盤である市民的・政治的自由について、治安重視、規制重視の合憲判断を変えていません。しかし、民主主義が制度的、形式的には多数決民主主義だといっても、それは少数者の意見が十分に保障され、憲法上の権利・自由が確立していることが前提です。司法ないし違憲審査権の役割はこの少数者の権利を守ることによって、民主主義を実質化させることです。日本も世界もこの民主主義の実質化が求められています。この裁判では、戦後初めてと言ってもいいほどの、市民的・政治的自由の憲法的保障を正面から取り上げる司法審査、違憲審査が期待されているのです。

未来をかけて  

 いまの日本社会には、何とはなしに大勢に順応する多数派主義の風潮があります。しかし、多数派という存在はさまざまに異なった意見、少数意見があって初めて出来上がるのです。むしろ、少数意見は将来の、あるいは真の多数派なのです。この重要性は今回の原発問題ではっきりしました。京大の助教(助手)の小出裕章さんはずっと原発の危険性と欺(ぎ)瞞(まん)を指摘したので、原子力学会やマスコミから一切、排除されてきました。今回、私たちは日本社会の中にある少数意見の重要性、貴重さを思い知らされたと思います。堀越事件や世田谷事件も同じです。イラク派兵に対して、また、日本の将来について多様な意見が認められて、はじめて日本社会は発展するのです。日本国憲法は、違った人の違った意見、これを大事にすることが民主主義社会の基礎、条件であり、これが世界基準―常識であることを教え、定めたのです。
 今、政治も行政も混乱しています。だからこそ、司法、最高裁には日本国憲法、とくに人権保障を軸にして、政治・行政をただす役割が求められています。行政や公務員制度のあり方について言えば、公務員一人ひとりが自分の意見・思想をもち、自由に意見を言える環境の下で行政―職務を担っているのであれば、国民は公務員を、行政を信用できます。ところが、国公法の政治活動禁止は、公務員が市民として、人間として自律し、信頼できる存在であり、本来の役割を果たすことを妨害しているのです。公務員制度改革、行政改革、政治改革は、この政治的自由と民主主義という原点から出発しなければなりません。
 もちろん、司法だけでなく、私たち国民も直接、声をあげなければなりません。東日本大震災、原発災害に直面し、将来の日本をどうするかが問われている今の時点であるからこそ、さまざまな意見を持つ人びとが自由に議論し、これが憲法上の権利・自由として保障されること、この意味での表現の自由、政治的自由の実現、立憲民主主義を実現しなければなりません。この意味で、市民的、政治的自由の実現を問う本件上告審の役割は重大です。

東京・東電OL殺人事件 釈放と再審決定急げ  

「再審の要件達した」
 ゴビンダさん支える会 裁判所と検察に要請

 東京・東電OL殺人事件で、ネパール人のゴビンダ・プラサド・マイナリさんを有罪とした誤った判決を覆す新たなDNA型鑑定結果が判明し、無実のゴビンダさんを支える会は、速やかな再審開始決定と釈放を求め東京高裁と東京高検に対し要請しました。
 東京高検に対しては、8月4日、12人で要請。ゴビンダさんの釈放を要請し、鑑定結果を証拠採用するにあたって、異議申し立てなどをしないよう求めました。
 東京高裁には10日に要請し、16人が参加しました。ゴビンダさん以外の第三者が、犯行現場で被害者と接触していた事実を明らかにした鑑定結果は、「犯行直前、現場に立ち入ることができた者はゴビンダさんしかいない」とする有罪判決の事実認定を揺るがすもので、再審開始の要件になっている、証拠の新規性・明白性を備えているとして、ただちに再審開始決定を出すよう要請し、刑の執行停止も要求しました。
 支援者からは、「DNA型鑑定のニュースはネパールでも大きく話題になっている。人権を救済することができるのか、裁判所の姿勢が国際的に問われている」などの訴えがありました。
 両日とも、要請に先立って宣伝行動がおこなわれました。多くのマスコミの取材を受けながら、裁判所前の通行人にビラを渡し、支援を訴えました。ゴビンダさんの身元引受人でもある「支える会」の客野美喜子事務局長は、「検察と裁判所は、ゴビンダさんとその家族を14年間苦しめた責任をどうとるのか。判決の誤りを認め、再審決定を出すべき」と訴えました。これらの要請・宣伝には、国民救援会も参加しました。

「無実は明らか、ただちに釈放と再審を」と訴える支援者
(8月4日・東京高裁前)

検察「回答留保」
鑑定の証拠採用めぐり

 DNA型鑑定結果が判明後、初の三者協議が8月10日、東京高裁で開かれました。
 弁護団の会見によると、協議では、検察側がDNA型鑑定の信用性を争うかどうか意見を明らかにするよう求められていましたが、検察は「検討中」として意見を保留しました。裁判所は、検察は7月半ばには鑑定結果を知っていたはずで、早急に意見を示すよう要請。1週間以内に回答することをあらためて求めました。また弁護側は、これまでの審理を踏まえた総合意見書を、9月末にも提出する意向を伝えたことも明らかにしました。
 支える会では、大きな情勢の変化を受けて、ネパールから家族を招いて、9月14日に東京・文京区民センターで緊急集会を開催します。
〈再審開始要請先〉
 千代田区霞が関1―1―4 東京高裁 小川正持裁判長

給費制の維持を 司法修習の意義考える集会  

 司法修習生の給費制の存続を求める集会が8月2日、参議院議員会館でおこなわれ、230人が参加しました。
 集会では、司法修習の意義から給費制を考える試みがなされました。若手弁護士のひとりは、「裁判所や弁護士事務所で実務を経験し、被告人と接し、検察庁のあり方などを肌で感じるからこそ、修習制度に意義がある。維持するためにも給費制が必要だ」と話しました。
 市民連絡会の代表が、ひきつづき給費制を維持するために、議員要請をはじめ国民の理解を得る運動を強化しようと運動提起しました。

震災復興と比例定数削減 弁護士 田中 隆  

選挙制度と震災の「位置」

 衆院の比例定数削減にはどんな問題があるのか――7月13日の比例定数削減反対集会で、自由法曹団の田中隆弁護士がおこなった講演「震災復興と比例定数削減」の一部を連載でご紹介します。

 震災復興と比例定数削減というテーマでお話の依頼を受けました。一方は自然災害、もう一方は民主主義の問題で、2つ並べても直接はつながりません。震災と選挙制度を政治あるいは政治史のなかにおいて見ることで、2つのリンクを考えます。

■国家改造への道

 この10年ほど、新自由主義にもとづく構造改革や、アメリカに追随した自衛隊派兵などの国家改造が猛威を振るいました。その序曲が、90年代初頭から準備された政治改革でした。政治改革で小選挙区制を導入し、国民の声が国会に届かないようにされていたことが、国民が反対している自衛隊の海外派兵や構造改革を可能にしました。
 小選挙区制を導入する政治改革法が強行されたのは94年1月でした。ちょうどその1年後、95年1月に阪神・淡路大震災が起こりました。震災の被害者は、生活再建への保障や住民本位の復興を求めてたたかいました。このたたかいは、自己責任・自助努力を掲げて憲法25条を破壊する構造改革と真っ向から衝突するものでした。生活再建支援法は、そんなたたかいによって勝ちとられたのです。
 構造改革路線が頓(とん)挫(ざ)をきたすなかで、09年8月の総選挙で政権交代が起こり、民主党政権が誕生しました。この政権交代には、矛盾し相克する2つのインパクトがはたらいています。ひとつは、「生活第一」というマニフェストに期待をかけて、構造改革路線を転換させたいという国民側のインパクト。もうひとつは、自民党に見切りをつけて構造改革の再生をはかろうという財界などのインパクトです。
 その相克の結果、民主党政権は動揺を重ねます。「生活第一」が消滅し、消費税増税やTPP(環太平洋連携協定)等、国家改造路線再生の方向に向かっています。国民はその方向を支持せず、昨年7月の参議院選挙では、民主党を敗北させました。これが改造路線と政権交代をめぐる動きです。

■政治改革と震災

 民主党政権のもとで、2つのことが起こります。ひとつは財界や民主党幹部がしかけた第二次政治改革、もうひとつは自然災害の東日本大震災です。
 第二次政治改革の狙いは、比例定数を削減して共産党や社民党などの構造改革や自衛隊派兵に反対する政党を国会から排除すること、国会を同質的な二大政党で固め、強権的な政治がおこなえるようにすることです。二度と反構造改革の政権が登場しないように、「未完の政治改革」を完成させようとしているのです。トップダウンの政治をおこなうために、与党議員の自由な活動を抑制し、内閣官房長官や行政官僚の国会答弁を排除しようとする国会改革も進められました。
 そのなかで、東日本大震災が発生しました。震災や原発事故にどう対応するかで、この国の方向が決まります。あの震災には政治被害というべき側面があることを、確認しておいてください。政治改革から始まった改革は地方自治体にも及び、平成の大合併で町や村が消されていきました。自治体リストラとあいまって、住民を守るべき自治体の防災力が弱められたところを、地震や津波が襲いました。震災被害は、決して政治と無関係ではありません。
 これが政治史のなかの、選挙制度と震災の「立ち位置」です。(つづく)

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