日本国憲法と世界人権宣言を羅針盤に、弾圧事件・冤罪事件・国や企業の不正に立ち向かう人々を支える人権団体

11年4月25日号

11年4月25日号  

東日本大震災 被災地の会員が救援活動に奮闘  

 大きな被害をもたらした東日本大震災。地震が発生してから1カ月が経過しましたが、いまも大きな余震におびやかされ、家を失った住民の避難生活が続いています。こうした人たちの生活を支え、街を守るために、自ら被災しながらも地域で救援活動をする国民救援会の会員がいます。

できる限りを 宮城・石巻支部 渡邉昌明さん  

 瓦礫が散らばる石巻の街をコメや野菜が満載のトラックで走る渡邉昌明さん。共産党の事務所に設置された救援センターで支援ボランティアをしています。この日渡邉さんが向かったのは市の中心部に近い住宅街でした。
 「この辺の住民は、水につからなかった2階部分で生活しています。水道や電気が止まり、避難所のように安定した配給がないから、こまめな支援が必要なんです」
 被災者に物資を手渡すと、「よくやってくれて助かるよ」と被災者の方たち。いも煮の炊き出しでは、「温かいものが食べられて嬉しい」と喜ばれました。
 「でも、お礼を言われると気持ちが重くなります。何回か食料を渡しても、この方たちが今後どう暮らしていくのか先が見えませんから」
 それでも、いま自分にできる限りのことをしたいと話す渡邉さん。今日も被災地へ向かいます。

写真が支えに 岩手・釜石支部 菊池公男さん  

 黒い壁となって押し寄せる津波にカメラを向けて、あの日菊池公男さんはシャッターを切り続けました。
 「こんなことになるとは、考えもしなかった」
 写真家としてワカメの収穫や地元の祭など、地域の人の生活に密着し、写真に記録してきた菊池さん。震災が起きてからも街の様子を毎日撮り続け、地域の避難所で住民と一緒に生活しています。菊池さんはいま、津波や、変わり果てた街の写真を避難所の人たちに見せて歩いています。
 「見せるべきか、はじめ悩みました。見たくない人もいますから」
 でも、住民からは意外な返事が。
 「こんな津波が来ていたとは知らなかった。命あって本当によかった」
 あらためて命の大切さを噛みしめる機会になっています。
 被災から1カ月。かつての街の姿を収めた写真で展示会をしてほしいという声も。街の記録が住民の生きる力になっています。

支部上げて支援 福島・北相支部・立谷基道さん  

 「港に近い街の惨状を見たら、少しでも何か手伝えることはないかと思いました」
 北相支部の事務局長を務める立谷基道さん。震災後、自宅の水道の水を被災した住民に配るなど、住民の生活を支えてきました。
 3月末には、福島県本部の役員と一緒に相馬市などの避難所を訪問。生活の様子を訪ねると、基本的な物資は揃ってきているが、生鮮食料や調味料が不足していることが分かりました。
 「いま、北相支部の会員さんが経営するスーパーの一角を、救援物資配布のために利用しています。近くこのスーパーに民主団体共同の救援センターが設置されますので、支部としても、このセンターの仕事に積極的にかかわりたいと思っています」
 災害支援活動を軸に、支部活動をすすめたいと決意を話しています。

東日本大震災 支援の動きが全国各地で広がる  

 被災地を支援しようと、全国から救援物資や激励の手紙が届いています。それに応えるように、被災地の県本部・支部も少しずつですが活動を再開しています。

全国から支援物資が続々届く  

 全国から送り届けられる救援物資が、連日中央本部に届いています。多様な物資に込められた思いも、また様々でした。

 兵庫の神戸西区支部では、常任委員会で救援カンパと物資を届けようと決定し、支部ニュースで会員に呼びかけました。中央本部に届いたのは、防寒服や食料のほかに大量のペットボトル飲料水。
 「私たちは、16年前に阪神・淡路大震災で被災しました。そのときも水が足りなくなりましたから」と事務局次長の森本利昭さん。ダンボール箱一つひとつに、「(昨年の)兵庫西区ポスター弾圧事件の支援をありがとう」と書かれていました。
 広島の呉支部からは、多数の歯ブラシとタオルが。
 「口のケアをしないと病気になると思って」と支部長の堀越和行さん。「せっかく避難所にたどり着いても、肺炎で亡くなる方がいることを知り、ショックでした。急きょ役員会議を開き、募金と救援物資の提供をしようと決めました」と話します。

 北海道の南空知支部からはタオルや石けんなどの生活用品が。事務局長の長谷川信博さんは、「この地域では、かつて鉱山事故や川の氾(はん)濫(らん)などで被災したとき、全国的な支援を受けました。支部の会員には、炭鉱労働者だった方が多く、救援活動の大切さを知っているんです。一人の力は小さいですが、みんなの力が集まれば少しは力になれるのでは」と話していました。
 東京・葛飾支部は、生活用品のほか、果物などの支援物資を会員などから寄せてもらいました。
 「私が葛飾ビラ配布弾圧事件の被告としてたたかっていたとき、東北地方に支援を訴えにまわり大変お世話になりました。そのときの皆さんのお顔が浮かびました」と話す副支部長の荒川庸生さん。物資をワンボックスカーに目いっぱい詰め込んで中央本部に持ち込みました。

 各地の救援新聞県本部版や支部版で、今回の震災の被災者を救援しようと呼びかけ、カンパ活動などにとりくんでいることが紹介されています。
 大きな見出しで「救援募金のお願い」を掲載した新潟県本部版は、「新潟も中越地震の際、全国のみなさんから温かい励ましを受けました。県本部として全力でとりくみます」と、募金に力を入れる構えです。
 大阪府本部版では、「必要なことは、全国からのカンパ活動で被災した県本部と支部を立ち直らせ、救援会の活動を再開すること」と訴え。中止となった合葬追悼会に参加予定だった遺族から、「東京観光の費用を募金として送ります」という手紙が来たことを紹介しました。
 愛知の岡崎・額田支部では、映画「蟹工船」上映会に震災支援の趣旨を盛り込み、会場でカンパを集めたことを紹介。近く開く救援美術展でも震災支援を訴えていく方針です。
 全国の県本部・支部、そして会員が、被災者の支援活動に力を注いでいます。

復興へ向け一歩ずつ 被災県本部が活動再開  

 大きな被害を受けた被災地の県本部と支部も、各地の応援の声に応え、困難ななかで救援会の組織活動を続けています。

 福島県本部の安斎副会長と石川事務局長は4月5日、原発から30キロ圏に一部がかかったいわき市を訪れ、救援物資を届けました。
 いわき支部事務局長の吉田英策さんは、「原発事故の拡大のなかで、市内への物資の輸送が拒否され物資が入らなかったが、ようやく回復しつつある。九ノ浜地区の被害がひどい」と話しました。
 つづいて訪れた九ノ浜地区では、橋が崩落して先に進めませんでした。地元の消防団から、「この橋の向こう側が30キロ圏内。地域住民は後片付けや行方不明者の捜索を放棄して離れざるを得ず、今は誰もいない。地域の市議も亡くなり、市とのパイプもない。この惨状を伝えてほしい」と頼まれました。

 震災の復旧活動が続く4月5日、宮城県本部の事務所に、仙南支部の小林事務局次長が、かつて労働組合で一緒に頑張った仲間の佐藤さんを連れてやってきました。県本部の吉田事務局長と一緒に入会をすすめたところ、その場で申込書を書き始めました。小林さんが思わず喜びの拍手。吉田さんともがっちり握手しました。
 小林さんは、「入ってほしいと思っていた方が入会して嬉しい。こういう時期だからこそ、救援会を大きくしなければ」と話しています。

中央本部と対策を検討 岩手県本部  

 県本部で4月8日に予定していた常任委員会が直前の震度6の余震で延期となり、会議に同席予定だった中央本部の鈴木事務局長が県本部を訪問し、吉田事務局長と今後の対策を話し合いました。
 県内の被災状況としては、気仙支部で3人の会員が亡くなり、今も18人の会員と連絡がとれていないことや、家が流された人が数人いることが報告されました。ライフライン復旧が追いつかず、支部との連絡も難しい状況が伝えられました。

東京電力に申入れ行動 福島県本部  

 県内の労働組合や民主団体で構成するふくしま復興共同センターが4月6日、東京電力福島支社に申し入れをおこない、県本部の石川事務局長が参加しました。
 要請では、事故の原因と責任を明言し、謝罪すること、被害者に補償をすることや、原発労働者の健康を守るよう申し入れました。
 同センターは、近く東京電力本社に申し入れ行動をする予定です。

安否尋ねて連絡続ける 宮城県本部  

 宮城県本部ではいまも会員の安否を尋ねて連絡をとりつづけています。「状況が明らかになるたびにつらい思いになります」と吉田事務局長。これまでに5人の会員、そして会員の家族5人の死亡が確認されました。また、1人の会員と会員の家族4人と連絡が取れず、行方が分からなくなっています。

被災会員を役員が訪問 長野県本部  

 3月11日の宮城県沖地震の翌日、長野県北部の栄村に震度6強の地震があり、村全域804世帯に避難指示が出される災害がありました。
 県本部は、3月30日、河原田会長と小池事務局長が2班に分かれて被災地を訪問。小池事務局長は、飯山支部の小山支部長などとともに栄村を訪れ、避難生活をしている飯山支部の救援会員のお見舞いをしました。
 現地の様子について県本部の小池事務局長は、「被害の大きな宮城県沖地震の影に隠れて支援の届かない状況。村は家屋の倒壊が目立ち、山林や路面の崩落が点在していたが、深い雪に覆われて手付かずの状態。再建には時間がかかりそう。農村が破壊され、若者に希望が持てない政治のもと、災害に備える村づくりをしてこなかった政治の責任を痛感した」と話しています。

菅総理宛に文書で要請 中央本部  

 国民救援会中央本部は、4月1日、震災と福島原発事故に関連して刑務所や拘置所などでの被拘禁者の安全を確保するよう、菅総理や江田法務大臣に対し文書で要請しました。
 要請書は、被害を受けた被拘禁者の生命・健康を優先する処置をおこなうことや、放射能被害が広がる地域で、移設を含めて被拘禁者と職員の安全を図ることを求めています。

選挙活動の自由を守る民間パトロール活動を各地で広げる  

 いっせい地方選挙が全国各地でおこなわれました。東日本大震災や福島原発の事故の影響で、不安な生活が続く中での選挙となり、一部で選挙「自粛」などの声も聞かれました。しかし、憲法にもとづく自由で公正な選挙を実施するためには、ビラや演説など、政策を宣伝し情報を提供して有権者がしっかり見極めることが必要です。国民救援会では、全国各地で民間パトロールをはじめ、不当な弾圧・干渉を許さず、自由な選挙を守る活動を広げました。

2市13カ所で宣伝行動 新潟  

 3月24日と26日、県労連、自由法曹団、国民救援会でつくる新潟県共闘会議は、「選挙活動の自由」と国民の「知る権利」を守る民間パトロール隊を走らせました。24日は新潟市内を中心に8カ所で、26日には長岡市内の5カ所でスポット宣伝をおこないました。
 警察の妨害・干渉、ぐるみ選挙、謀略ビラ配布などを批判し、やめさせようと訴えました。

不当な連行を糾弾し警察署前で行動 山口  

 体の不自由な市民が選挙管理者の許可を得て介助者による期日前の代理投票をしたところ、警察官が「投票依頼をしただろう」と介助者ら含めて3人を連行した事件が4月4日に起きた山口では、5日、6日に民間パトロールをおこないました。
 連行した山口南署や新山口駅の前で、不当な干渉を糾弾し、弾圧を許さず、堂々と選挙運動をすすめようと訴えました。

選挙「自粛」許すなと市議会に申入れ 広島  

 国民救援会呉支部は4月8日、呉市議会が4月4日に議長名で選挙活動の自粛を呼びかけたことに対して要請し、抗議しました。
 呉市議会議長名の選挙自粛の呼びかけは少数会派を排除した会派の代表者らが合意したもので、東日本大震災の「被災者の心情や、国民・市民感情に鑑み、静穏な選挙をおこなうため」として、投票日前日を除く「スピーカーを使用した連呼行為」について午前・午後各2時間短縮するよう求めるものでした。
 要請では、投票するにあたって、有権者に判断材料を十分提供してこそ自由で公正な選挙・政治活動が保障されるとして、市議会に各候補者の自由な言論活動にもとづく正々堂々・のびのび・旺盛な選挙活動を推進するよう求めました。
 市議会側は議会事務局議事課課長ほか1人が対応し、「議長に渡す」、「報告します」とのことでした。呉支部の堀越和行支部長はじめ3人は、「全会派に渡すように」と念を押しました。

住民の要請受けて民パト出動 大阪   

 国民救援会大阪府本部は4月7日、4人の参加で民間パトロールをおこないました。大阪市住吉区の住民から「警察官の聞き込みなどが頻繁におこなわれている」との情報と民間パトロールの要請があり、これにもとづいて住吉区苅(かん)田(だ)の地域を中心に宣伝カーを走らせました。
 地元・住吉支部の古旗副支部長に道案内を頼み、地域の路地すべてをめぐって、宣伝カーで「警察の干渉、妨害があれば国民救援会へ。自由な選挙、政策宣伝を」と正々堂々と訴えました。宣伝カーに手を振ってくれる方や、「ご苦労様」と声をかけてくれる市民もいました。
 地元の国民救援会の仲間は「民間パトロールのやり方がわかった。おもしろい活動だ。支部でもとりくむようにしたい」と話していました。その後、警察の聞き込みがなくなったという声なども聞かれ、参加者も「狭い地域で半日の行動。効果があったのではないか」と喜んでいます。

三重・名張毒ぶどう酒事件 奥西勝さんの再審求める声が各地で  

 4月5日は6年前に名古屋高裁で名張毒ぶどう酒事件の再審開始決定が出された日です。決定はその後取り消されましたが、昨年4月5日、最高裁がその取消し決定を破棄し、差し戻す決定を出しました。そして今年の4月5日、奥西勝さんの再審開始と釈放を一刻も早くと、三重と愛知で宣伝行動が、東京で支援集会がおこなわれました。

「すぐに釈放を」と地元で宣伝行動 三重  

 奥西さんを救う三重の会と国民救援会三重県本部は4月5日、合同で宣伝行動にとりくみました。
 宣伝カーで津駅前や住宅街を回り、「検察の主張は不当な審理の引き延ばし。裁判所は検察に振り回されることなく直ちに異議申立を棄却し、釈放を」などと訴えました。
 その後、近鉄津駅西口前で署名・宣伝行動を11人でおこないました。友人の分も、と署名用紙を持ち帰る女性もいて、元気づけられるとりくみとなりました。

名古屋高裁前で「再審の花咲け!宣伝行動」 愛知  

 国民救援会愛知県本部と愛知守る会は名古屋高裁前で「再審の花咲け!宣伝行動」をおこない、90人を超える支援者が参加しました。
 宣伝行動では、参加者たちが奥西勝さんへのメッセージを桜の花びらを模したカードに書き、ボードに貼って満開の桜を咲かせました。
 作家の佐藤貴美子さんも病をおして参加し、「奥西さんの健康が心配。一刻も早い再審を」と訴えました。
 特別面会人の稲生昌三さんは、「奥西さんが79歳のときに名古屋高裁の小出裁判長が再審開始決定を出した。しかし、門野裁判長により開始決定が取り消され、85歳になるいまのいままでないがしろにされている。裁判所の責任は重い」と訴えました。
 最後に参加者全員で「ただちに再審を開け」、「隠している証拠を開示させろ」、「奥西さんを釈放せよ」などのシュプレヒコールをあげました。

200人の参加で支援集会が成功 東京  

 東京・文京シビックホールで、名張毒ぶどう酒事件奥西勝さんを守る東京の会の主催による「今すぐ再審開始を!奥西さんを死刑台から取り戻す4・5集会」が開催され、200人が参加しました。
 集会では、まず守る会が作成した事件の解説DVDを上映。その後は芸人の松元ヒロさんが会場を大いに沸かせ、弁護団の伊藤和子弁護士を交えてジャーナリストの江川紹子さん、コメンテーターのやくみつるさんの対談がおこなわれました。江川さんは委員として参加した「検察の在り方検討会議」にも触れ、取調べの全面可視化の必要性を語りました。また、2人は「奥西さんと来年の桜を一緒に見たい」と思いを語り、大きく世論を広げたいと訴えました。
 布川事件の桜井さん、杉山さんも駆けつけ、連帯の挨拶。特別面会人の稲生さんも名古屋から駆けつけ、奥西さんの今の様子を報告しました。
 守る会の代表世話人で青山学院大学大学院の新倉修教授は「この大変な時期に集会が成功して本当に嬉しい。奥西さんの再審開始と釈放を勝ちとるまで決してあきらめない」と決意を語りました。

検察の主張次々と破綻 再審開き正義示せ  

 事件の審理が最高裁から名古屋高裁に差し戻されて1年。「差戻審における証拠調べは、必要最小限の範囲に限定し、効率良く」とした最高裁決定に沿った審理が進められているのでしょうか。

 02年に始まった第7次の再審請求で弁護団は、「犯行に使われた毒物は奥西さんが持っていた農薬(ニッカリンT)ではない」とする鑑定書を提出しました。実験の結果、もし毒物がニッカリンTであれば当然検出されるはずの不純物が検出されなかったことが明らかになり、05年に名古屋高裁刑事1部で再審開始決定が出されました。
 その後、同高裁刑事2部で開始決定が取り消され、審理は最高裁に持ち込まれました。検察は新たに「不純物は発色が弱い」などとする従来(加水分解したなど)と全く違う主張を持ち出しました。
 弁護団はこの主張に反論するため、補充書の提出を予定していましたが、最高裁は審理から逃げ、提出を待たず、名古屋高裁に差し戻す決定を出しました。
 名古屋高裁で、検察は「最高裁で主張した発色問題は今後主張しない」と言明し、「新たな主張をおこなう」と主張を変更。そもそも検察が発色問題を主張したからこそ最高裁は審理を差し戻したのであって、主張しないのであれば、差戻し審を続ける道理はありません。弁護団は、ただちに再審を開始すべきと強く迫りましたが、名古屋高裁は検察の新たな主張に引きずられ、「再生・再現実験」をおこなう意向を示しました。
 検察の新たな主張は「不純物は発色が強い」ことを前提に、「ニッカリンTには問題の不純物が5%以下しか含まれていない。あるいは、検出された物質は、問題の不純物とは違うもの」という主張で、自らの最高裁での主張とも矛盾するものでした。
 さらに今年になって名古屋高裁は検察に対して、「ニッカリンTを成分分析して、弁護側の主張(問題の不純物は17%以上)に沿う結果となった場合、何を主張するか」と回答を求めました。検察は「発色が強い」ことを前提とした「検出された物質は問題の不純物ではない」とする主張と併せて、再び「発色が弱い」ことを主張するなどと回答。矛盾する主張を繰り返す極めて不当で不誠実な態度をあらわにしました。
 場当たり的な主張を繰り返す検察にはもはや正義はありません。これは検察主張の破綻そのものを示すものです。この間、名古屋高裁は、裁判所として、鑑定人を見つけることもできませんでした。これ以上の引き伸ばしを許さず、再審開始を確定し、一刻も早く奥西さんを釈放することが、裁判所の当然の責務といえます。

江田法相が検察特捜部の取調べの全過程の可視化を指示  

 江田法務大臣は4月8日、東京、大阪、名古屋の各地検特捜部による取調べの全過程の全面可視化を試行し、1年後をめどに検証するよう、笠間治雄検事総長に指示しました。これは、大阪地検特捜部の証拠改ざん問題を契機に、昨年11月に発足した検察の在り方検討会議が3月31日、「検察の再生に向けて」と題する提言の発表を受けてのものです。
 江田法相の指示は取調べの全面可視化への第一歩であり、前進です。しかし、特捜部だけにとどまらず、警察・検察における取調べの全面可視化が必要です。

 この間国民救援会は、まず、「検討会議」の発足に先立ち法務大臣に要請。これまでの冤罪事件を検証し、無実の人を罪に陥(おとしい)れてきた検察・警察の構造的問題に深くメスを入れ、抜本改革の方向を示し、委員には、法務省、警察・検察関係者を除き、冤罪犠牲者やその支援者、弁護団を入れるよう求めてきました。
 また、「検討会議」に対し、足利事件布川事件などの冤罪事件当事者の声も届けながら、自白強要や無罪の証拠隠しを改善するために、取調べの全過程の録音・録画(全面可視化)と検察の手持ち証拠の全面開示の実現を強く求めてきました。
 しかし、「検討会議」では、ジャーナリストや日弁連元役員などが全面可視化の必要性を積極的に提起しましたが、警察庁・最高検の元責任者が強く反対しました。その結果、3月31日に発表された提言では、「可視化を積極的に拡大すべき」との表現にとどまりました。
 これを受け、国民救援会は声明を発表。警察・検察が冤罪に対し真摯に反省していないことを反映していると指摘したうえで、国会および政府に対して、今回の提言にとどまらず、冤罪の根本的な原因にメスを入れる、警察・検察関係者を除いた第三者機関を改めて設置し、抜本的な改革をおこなうことと、ただちに取調べの全面可視化、証拠の全面開示の実現を強く求めていました。

佐賀・安永健太さん死亡事件で警官無罪の不当判決  

 2007年9月、佐賀市内で知的障害がある安永健太さん(当時25歳)が、5人の警察官に取り押さえられた中で急死した事件の付審判事件の判決が3月29日、佐賀地裁(若宮利信裁判長)であり、特別公務員暴行陵虐罪に問われた松雪大地巡査長に対し、「暴行があったと認定するには合理的な疑いが残る」と無罪の判決が言い渡されました。
 裁判は、松雪被告が安永さんを殴ったかどうかという点だけに事実上絞られた目撃証言に終始し、後ろ手錠をかけられた安永さんを5人の警察官が歩道に押さえつけた行為の合法性、死亡した原因など、事件の本質に迫るものとはかけ離れたものとなっていました。
 地元紙でも「(佐賀地裁は)取り押さえに関与した警察官5人全員を審判に付し、一連の保護行為の適法性について審理すべきだったと思わずにいられない」と報じています。
 検察官役を務めた弁護士は、捜査権がなく調書も見られないという付審判事件の難しさを述べています。
 健太さんの父、安永孝行さんは判決直後、「控訴して真相解明を」と求めており、4月7日、検事役だった弁護士が福岡高裁に控訴しました。
(県本部・植田徹)

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