日本国憲法と世界人権宣言を羅針盤に、弾圧事件・冤罪事件・国や企業の不正に立ち向かう人々を支える人権団体

11年1月25日号

11年1月25日号  

福井・女子中学生殺人事件で再審開始を判断するための証人尋問  

 1986年、福井市で女子中学生が殺された事件で、犯人とされた前川彰司さんの再審を求めている審理で、再審を開くかどうかを判断するために必要な法医学者の証人尋問が1月7日、名古屋高裁金沢支部でおこなわれました。審理は大詰めを迎えており、弁護団によれば、今春にも再審を開始するかどうかの判断が出る見通しです。

 事件は、当時15歳の女子中学生が殺害された事件で、別件で警察に逮捕されていた暴力団員のウソの供述により、前川彰司さんが逮捕・起訴されたものです。一審は無罪でしたが、二審で逆転有罪となり懲役7年の罪が確定。服役後、再審を求めて名古屋高裁金沢支部に再審請求をおこなっていました。

 証人尋問は弁護側から日本大学医学部の押田茂實教授が、検察側から帝京大学医学部の石山夫名誉教授が尋問に立ちました。尋問は非公開でおこなわれ、両鑑定人が鑑定意見書に基づく主張を展開しました。
 二審の名古屋高裁金沢支部の確定判決は、前川さんが殺害後に血まみれの状態で乗用車に乗り、ダッシュボードにべっとりと血が付いたことを前提としました。車のダッシュボードから、血液の痕跡を示すルミノール反応(試薬を用いて血痕の有無を調べる方法)が検出されていませんが、裁判所は、血痕を18時間放置した後に、ティッシュペーパーに唾液をつけたもので拭き、9カ月間放置したため、血痕が検出されなかったと認定しました。
 鑑定書で押田教授は、同じ条件で実験をおこなった結果、ルミノール反応は陽性を示し、血痕が検出されると主張。裁判所の事実認定が誤っていることを明らかにしました。一方、石山名誉教授は、紫外線の影響でルミノール反応が出ないと根拠も述べずに反論しました。
 また、被害者は50カ所以上も顔などに刃物による傷をつけられていました。押田教授は、つけられた傷から、現場に残されていた2本の文化包丁ではできない傷があり、文化包丁より刃幅の狭い第3の刃器が用いられた可能性があることを指摘。石山名誉教授は、浅い傷は被害者の姿勢が変化してできたと主張していました。

 裁判後の報告集会で弁護団の吉川健司弁護士は、「1月20日の反対尋問で証拠調べは終了し、(弁護側と検察側の)双方が最終意見書を出せば、早ければこの春にも裁判所の決定が出される可能性がある。国民救援会として支援を強めてほしい」と訴えました。
 この日は午前11時から正午まで、国民救援会の福井、石川、富山、長野各県本部から19人が参加して、金沢市内の繁華街で宣伝行動を実施。雪が降る中、参加者がそれぞれハンドマイクで訴えながら、買い物客らにビラ360枚を配布。1時間で再審開始を求める署名34人分を集めました。ビラを受け取った人からは、「無実なのに、何故まだ再審が決まらないのか」との声が聞かれました。
 国民救援会は、20日に行われる証人尋問の際にも宣伝を行い、午後4時から報告集会を開く予定にしています。

要請先〒920―8655 石川県金沢市丸の内7―2 名古屋高裁金沢支部・伊藤新一郎裁判長

福井・女子中学生事件概要  

 再審開始へ大詰めの段階を迎える福井女子中学生殺人事件。あらためて事件の概要と不当性を学び、真実の確信をつかみましょう。

 事件は、1986年3月に発生。福井県内の市営住宅で、母親と2人暮らしだった15歳の女子中学生が親の留守中に殺されました。灰皿で頭を殴られ、電気コードで首を絞められ、包丁などで顔を中心に50数カ所もメッタ刺しされる異様な態様から、覚醒剤やシンナーの乱用者をリストアップして捜査が進められました。
 事件から半年後に、覚醒剤事件で勾留されていた暴力団組員Aが前川彰司さんが犯人であると言い出し、それを根拠に前川さんが逮捕、起訴されました。
 検察は、次のようなストーリーを描いて前川さんを犯人にでっち上げました。
 午後9時ころ、前川さんはAとともにAの友人が運転する車に乗って事件の起きた市営住宅に向かった。前川さん1人で被害者宅に行き、被害者を殺害。衣服などに血を付けて車に戻り、右手の血痕を見とがめられて、「けんかをした」と答えた。翌日、Aに電話で、「人を殺してしもたんや」と告白した。

有罪判決の誤り ゝ甸囘事実と違う

 検察のストーリーはまったく架空のもので、前川さんはその日、自宅で家族と夕食を共にしていました。一審は前川さんを犯人とする客観的証拠がないことから無罪判決でしたが、二審は暴力団員の証言だけで犯行を認定し、逆転有罪判決を言い渡しました。

 証人たちの「証言」では、犯行現場から戻ってきた前川さんは手の甲や指先に濡れた血をべっとりと付け、胸全体に血を付けていたとされているにもかかわらず、車から血痕反応は出ていません。また、Aが血痕を拭き取ったとする車のダッシュボードからも血痕反応は出ていません。

 Aは、前川さんが着ていたとする血の付いた衣服を、最初は買い物袋に入れて前川さんの家に持って行ったと証言しましたが、その後、川に捨てたと証言を変え、最後には、隠したが場所は忘れたなどと証言しています。警察が捜索しても血まみれの服が発見されないということは、異常な変遷も合わせて考えると、結局そのような服は実は存在しないことを示しています。

有罪判決の誤り◆〃抻,暴力団員を利用

 証人たちは、みな覚醒剤やシンナー事犯等の犯罪歴ないし非行歴を有し、いずれも暴力団組員または暴力団と深い関係がある者で、本件取調べ当時、A(暴力団員)は勾留中、その友人らは保護観察付き執行猶予中であるなど、証人たちの多くは、警察に迎合しやすい状態でした。

 Aは、自分の罪を軽くしてもらおうと、前川さんが犯人であると証言し、そのための情報収集を友人らに依頼していたことが分かっています。Aが友人に宛てた手紙には、このようなくだりがありました。
 「今回の事で、俺は3年から4年くらいの刑を言い渡されると覚悟している(中略)。殺人事件の事が俺の情報で逮捕されれば、俺は減刑してもらえるから頼むぞ」

 Aやその友人たちは、具体的詳細な事実を本当に体験したように証言しながら、後になって「ウソだった」と撤回する変遷の繰り返しでした。前川さんの右手の血を見とがめたとする証人は、他の証人が述べた、より目立つはずの胸元一帯の血の付着には気付かなかったと言うなど、矛盾した証言も目立ちました。

有罪判決の誤り 新証拠で無実明らか

 再審段階で弁護団が提出した新証拠によって、前川さんの無実がいっそう鮮明になっています。

 再審段階で弁護団が提出した新証拠によれば、犯行は被害者にコタツカバーを掛けた上から刺突行為に及んでいるため、犯人の衣服等に多量の血はつかないことが明らかになりました。また、被害者の後頭部の傷からも、顔面の傷からも、包丁が刺さっていた首の傷からも血の噴出はなく、血液が衣服に付着することはありえません。

 凶器は包丁以外にも犯人が持ち込んだ小刀のような刃物が使われたと考えられます。胸の傷のひとつは、まっすぐな包丁によっては出来ない傷であり、首と胸の傷は、現場に残された2つの刃物のどれによってもできない傷です。つまり、「第3の刃物」が犯行に使われたことを示します。

「僕は無実です」 前川彰司さん  

 前川さんは体調を崩し、現在は入院中です。09年に福井県内で開かれた集会で前川さんは、「うそで固めた事件の真実を明らかにするため、死ぬ気でがんばる」と決意を語っています。

国公法弾圧2事件で違憲無罪判決を求める署名が会員数を突破  

 国家公務員が休日に勤務地とはまったく関係のない場所で、政党のビラを配布したことが国家公務員法違反として逮捕された、国公法弾圧堀越事件世田谷国公法弾圧事件で、国民救援会は会員数(約4万7千人)、そして5万人分の違憲無罪判決を求める署名の集約にとりくんできました。
 1月13日現在、会員数を超える4万7872人分を集めました。世田谷国公法弾圧事件の上告趣意書提出日の1月31日までに、5万人分を集めるためにさらに広げましょう。
 葛飾ビラ配布弾圧事件をたたかい、昨年支部を再建した東京・葛飾支部は、他の事件支援はもちろん、ビラ配布の自由を守るたたかいを発展させようと位置づけて、署名集めに奮闘しています。
 岡山県本部では、県本部ニュースで繰り返し署名を訴え、多くの人が集まる場所では必ず署名を集めるようにし、岡山支部では救援新聞の配達の時、署名用紙を携えて、配達先で署名のお願いをするなど、全国各地で奮闘が続いています。

最高裁を包囲し、弁護団を激励しよう!
1・31最高裁上告趣意書提出行動・報告集会
▼提出行動 午後1時 最高裁正面玄関
▼報告集会 午後2時 衆議院第2議員会館第1会議室

滋賀・日野町事件で阪原さんの体調が急変  

 昨年12月に刑務所から外部の病院に移送され、体調が徐々に回復へ向かっていた日野町事件の阪原弘(ひろむ)さんですが、1月2日未明に痰が喉に詰まり呼吸困難となり、意識不明の状態となりました。
 その後も、阪原さんの意識は戻らず、医師からは「意識が戻ることは厳しい」と伝えられ、1月14日には気道確保のための手術がおこなわれることになりました。
 家族は病院に詰め、必死に阪原さんの看病にあたっています。

〈激励先〉〒732―0052 広島市東区光町2―9―24 ロードビル202号 国民救援会広島県本部

インタビュー・鹿児島老夫婦殺害事件の無罪判決をどう見るか  

 鹿児島市で老夫婦が殺害された事件で、強盗殺人罪などに問われた被告に、鹿児島地方裁判所(平島正道裁判長)は昨年12月、無罪判決を言い渡しました。裁判員裁判での死刑求刑事件で無罪判決は初めてです。判決は、検察のずさんな有罪立証を指摘し、「疑わしきは被告人の利益に」という刑事裁判の原則に則って判断をしました。この判決をどう見るか――事件を担当した野平康博弁護士(志布志事件の元主任弁護人、大崎事件弁護団)に話をうかがいました。

 この事件が無罪になった大きな理由は、指紋があるだけで殺害行為や強盗があったことを示す証拠にはならないということです。

 これまでの裁判では、現場に行ったのに否認するのは不自然だと認定されるケースが多かったのですが、昨年4月の大阪母子殺害事件の最高裁判決(現場のタバコの吸殻を柱にした有罪立証では不十分として差し戻し)の影響が大きいと思います。ただし、被告は現場に行っていませんから、私たちは指紋鑑定は偽造であると主張しています。
 もうひとつは、第三者の犯行であった可能性を打ち破れていないということです。100回以上振り回したとされるスコップの柄には被害者2人のDNAが残っていましたが、被告のものは出ていません。また、殺害方法も怨恨の可能性があります。つまり、被告の犯人性を示す証拠は指紋だけで、被害者宅から被告のもの(衣類の繊維片、現場の土砂、足跡と一致する靴など)は見つかっていませんし、被告の家や車にも被害者のものは出ていません。また、現場には多額の現金が残され、金庫が物色された形跡もない。強盗と呼べるような態様とはいえませんでした。
 判決は、「疑わしきは被告人の利益に」という刑事裁判の鉄則を守ったという意味で、意義のあるものだと思います。従来、裁判官だけの裁判では「さしたる問題はない」と有罪にされてきた小さな問題を、裁判員たちは拾い上げて厳格に判断したのだと思います。有罪無罪を決めるという点では、市民の経験則とか論理則が生かされたと思います。

 度重なる冤罪や不祥事がありましたが、警察や検察はまったく反省していないですね。志布志事件の当時の捜査の問題点が反省されていれば、こういう捜査のやり方はやっていないでしょう。指紋とDNAが見つかっている、被告は否認している、有罪に決まっている――すごく暴論なんです。しかも、自白を取ろうとして叩き割り(暴言や脅し、偽計などで自白を迫る取調べ。志布志事件で使われた手法)をしようとして20日間拘束して取調べをしているわけです。「自白が取れれば一丁上がり」は、まさに冤罪の構造です。
 証人尋問で検察は、私たちの指摘を受けて不利になると、調書に書かれていないことやそれまでの主張を翻して証言を変えることが度々ありました。たとえば、調書に「南側縁側に足跡痕がある」と書き、法廷でも証言した鑑定官は、公判の終盤になって「その足跡は静電シートのシワの跡だ」と証言を変えています。また、「覚えてません」を乱発する鑑識官や、指紋についても採取したものだけを示して、「これは侵入口についていた指紋だ」と証言するなど、裁判所はこういう検察のやり方に不信を持ったと思います。
 裁判員が市民だったからこそ、こういった捜査のずさんさをきちっと見抜いたのではないでしょうか。捜査に対する客観性や公明正大さというものを、裁判員は強く求めているんだと思います。それに比べて警察・検察は、自分たちがやっている捜査の不十分さをちゃんと認識していないんじゃないかと思います。そこに大きな問題があると思います。

 大阪地検特捜部のデータ改ざん問題も、捜査の不十分さを補うためにやったと考えられます。きちんとした捜査をやっていれば、そんなこと必要ないんです。まして、自分たちが不利になると主張を変更するような立証活動はおかしい。いまのままの検察には「捜査」という権限を与えられないのではないでしょうか。
 この事件では、検察の捜査のずさんさが浮き彫りになりました。こういった無罪判決をつきつけることで、捜査が改善されれば、冤罪がなくなる可能性につながっていくと思います。そういう教訓を残した判決だったと思います。

鹿児島老夫婦殺害事件
09年6月、鹿児島市内で91歳と87歳の老夫婦が頭から血を流して死亡しているのが発見され、同市内に住む男性が、強盗殺人罪で起訴。男性は一貫して否認。検察は、割って侵入したとされる窓ガラスの破片や物色したタンスなどから採取した指掌紋や、網戸に付着していた細胞片のDNA型などが、男性と一致することから犯人であると主張。判決は、これら指掌紋がいつ付着したのかがわからず、犯人と断定できないと指摘。現場のあちこちに指紋を残す一方、凶器とされたスコップからは指掌紋も細胞片検出されていないことは不自然で、被告が犯人であるとの検察の主張を退け無罪を言い渡した。判決は、検察が被告に有利な証拠を隠していたことや、鑑識の過程を明らかにしない捜査手法を批判した。なお、検察は判決を不服として控訴した。

連載・獄中に希望届けるメッセンジャー  

 布川事件では支援運動がさまざまな広がりを見せました。暑い夏に毎年おこなわれる現地調査、2人が仮釈放されるまでの処遇改善の運動、いろいろありましたが、その中から1つ紹介します。

 東京で毎年おこなってきた佐藤光政さんのコンサート「壁のうた」も大きく広がった支援運動の1つです。このきっかけは、布川事件での救援美術展でした。救援美術展の会場を借りていた「絵夢」という画廊のオーナーが所有しているビルに劇場がありました。当時、佐藤さんは地元の土浦や千葉で支援コンサートをおこなってくれていましたが、救援美術展の開催中にコンサートをお願いしました。
 はじめは「壁のうた」という名前ではなかったのですが、佐藤さんの提案で「壁のうた」という名前で、美術展とコンサートをおこなうことができました。会場が200人の定員でしたが超満員となり、2回目から2ステージに分けました。「壁のうた」の名前は当時まだ東西ドイツの間にベルリンの壁があって、南アフリカで民族融和を唱えたネルソン・マンデラが獄中にいて、そういうのも含めて「壁」、刑務所だけでない「壁のうた」にしようという発想でした。
 佐藤さんとピアニストの藤井ゆりさんは一緒に千葉刑務所に面会に行っていました。一度面会できたときに佐藤さんは、桜井さんに、「音楽をやったらどうか」と勧めました。当時、桜井さんは楽譜も読めなかったので、音楽部に入ってトランペットをやり、ほどなくして、息子の無実を信じて支えてくれた母への思いをこめた「母ちゃん」という歌を作詞・作曲しました。それを土浦市でおこなわれた支援コンサートで佐藤光政さんが歌いました。そのうち、桜井さんが次々と作詞・作曲して、それを光政さんが音楽の先生として添削して、コンサートのたびに新しい曲を発表しました。

 ビラのデザインを協力してくれていたアルファデザインの労働組合にコンサートの招待状を送っていましたら、あるときデザインを担当してくれていた田口孝夫さん(現在、絵手紙作家)が来てくれて、感動して、とても大きな絵手紙を巻紙に書いて届けてくれました。
 思い出深いと言えば、佐藤さんと、田口さんと、桜井さんとが音楽と絵手紙のトライアングルで、支援運動が文化的に発展していったことです。佐藤さんも田口さんも燃えていましたね。
 人から人へ、生まれる絆。救援運動の宝は人かな。人から人につながる絆の魅力。ちっとも私はかっこいいことしてなくて、その接着剤なだけで、一生懸命支援してくれる人が知らず知らずにつながっていきました。(つづく)

連載・韓国 参与裁判から見えるもの  

 韓国滞在3日目、ソウル弁護士会との懇談がありました。会長以下、若い弁護士、事務方のみなさんの出迎えを受け、和やかな雰囲気で懇談は始まりました。

 まずソウル弁護士会会長の挨拶は、今回の懇談会を通じ、弁護士の関心を喚起するとともに、長期的には国民参与裁判の活性化と、弁護士の社会的貢献へのつながりも期待するというものでした。裁判官との懇談のときにも感じたのですが、司法を国民に開かれたものにするための努力をまず司法の当事者として積極的におこなうという姿勢が顕著に見受けられました。

 私たち視察団は、昨日の参与裁判を傍聴したことを述べ、弁護士の視点から参与裁判をどう見ているのかの意見を聞きたいと発言。特徴的な被告人の選択制の実情についてお伝えします。
 被告人が参与裁判を申請することがまず必須であり、7日以内に書面で意思表示をします。提出がない場合には、参与裁判を希望しないとみなされます。被告人が不十分・不正確な情報で性急な判断を下すおそれがあるため、申請後に取り下げることも可能とされており、裁判所による排除や弁護人による撤回などもあるようです。
 この質疑の途上、昨日私たちが傍聴した窃盗罪の被告人の弁護をした弁護士が発言をしました。国民参与裁判が実施されているが、制度の広報が不足しており、知っていたら選択していたという被告人もいるそうです。法院行政省は、広報のポスターや動画を作成しているが、約40%は制度の存在を知りませんでした。
 起訴状送達後7日以内に意思確認書を提出とあるが、この期間は短すぎることを報告。さらに排除決定された被告人は意思を無視されたと感じていたが、あくまで裁判所の処理能力の問題で今では改善が図られ、国民参与裁判にむいていない事件以外は排除決定せず、現在は被告人の意思が尊重されるようになっている、と自らも関与している新しい制度に対し、とても真摯に向き合っているように見えました。

 期せずして、昨日の裁判の結果についての質問がなされました。7人の陪審員中、常習性を認めたのは2人で、常習性を認めなかったのは5人。量刑は7人中4人が懲役、3人は罰金刑と、その結果、懲役8月の実刑。刑罰の過重(常習性が認められると罪が重くなるという制度)の適用はなかったそうです。
 この選択制については今後廃止し、一律適用の上で放棄権を認める方向で検討がなされているという話でした。
 次回は市民の立場で司法改革の運動を続けている「参与連帯」との交流をお伝えします。(つづく)

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