日本国憲法と世界人権宣言を羅針盤に、弾圧事件・冤罪事件・国や企業の不正に立ち向かう人々を支える人権団体

10年1月5日号

10年1月5日号  

布川事件が再審確定  

画像の説明

 2009年の年の瀬も迫った12月15日、寒さも吹き飛ばす嬉しいニュースが全国を駆けめぐりました。
 1967年、茨城県で起きた強盗殺人事件の犯人とされ、誤った裁判のやり直しを求めていた布川(ふかわ)事件で、最高裁は12月14日付で、東京高裁が認めた再審開始決定を支持し、検察の特別抗告を棄却しました。これにより、無実を訴える桜井昌司さんと杉山卓男さんが待ちのぞんでいたやり直しの裁判がおこなわれることが確定しました。
 15日夕方の会見に臨んだふたりは、固い握手を交わし、喜びを分かち合いました。
 逮捕から43年目の2010年。ふたりの無実を証明する裁判が開始されます。

司法記者クラブでの記者会見の様子  

 最高裁の再審開始決定が届いた昨年12月15日、司法記者クラブでおこなわれた会見の要旨を紹介します。

●桜井 本当にたくさんの皆さんのお力添えがあり、弁護団の長い長い苦労の上に今日の決定が出たことに感謝しています。本当にありがとうございました。
●杉山 今日決定が出ると思っていたので、仕事を休んで家で待機していました。勝ったということで家の中をウロウロ歩いていましたら、女房のほうから「落ち着け」と言われました。今は通過点。再審無罪になったら、もっと喜びたいと思います。

――裁判所にいま、言いたいことは。
●桜井 検察官は自白テープから目撃証人まですべての証拠を隠していた。それでなぜ平然と特別抗告できるのか。非常に怒りを感じています。警察官や検察がおこなった不法行為はあまりにもひどいということを裁判所に訴えていきます。
●杉山 検察が証拠を隠していたということもありますけども、特に原審の裁判長は最初から犯人扱いでした。そういう悔しさをいま思い出しています。私は裁判官が一番許せないと思っています。

――逮捕からの42年間を振り返って。
●杉山 逮捕当時は街のチンピラだったんで、あのままいたらどういう人間になってたか分からないと思います。事件に巻き込まれて善意のみなさんや弁護団のみなさんと出会えて、刑務所を出てからも普通の社会人になれたと思っています。事件に巻き込まれたのは悔しいですけど、良かったなとも思っています。
●桜井 非常に満ち足りた42年を過ごしてきたと思います。冤罪を背負ったおかげで、善意の方とたくさん出会えました。世の中にこういう人がいることが不思議でしたし、そういう人たちに触れて自分自身が真実を貫くことができました。今があるのは、42年という月日があるおかげだと思っています。

――絶望したことは?
●桜井 絶望を感じたことはないんですよ。ただ、無実の罪で刑務所に入るということは楽なことではありません。社会に出て3年目くらいで腕時計ができなくなりまして、いまでもできないんです。自分が我慢していたもの、耐えていたものが出てきたのかなと思っていまして。無罪になったら腕時計もできるようになるかなと期待しています。
●杉山 私の場合はこう留されていた後遺症というのはまったくないんですが、一番苦しかったのは、確定審の上告を最高裁で棄却されたときでした。裁判官はウソの自白をしても必ずわかってくれると思っていたんで。一審のときは負けても高裁があると、高裁のときも最高裁があると思っていたんで、最高裁で上告を棄却されたときが一番悔しいし、人生が終わったと思いました。

――長いたたかい、何が支えに?
●杉山 支援者の支えもありましたけれども、自分はやってないんだからいつかは分かってもらえるという信念がありました。そういう思いが支えになりました。
●桜井 刑務所のなかは大変だったもんですから、(国民救援会東京都本部の)高橋勝子さんとの2600通の手紙に代表されるような、人様の善意っていうんですかね、それが一番たたかう支えになったということに感謝しています。

最高裁決定がもつ意義  

 布川事件で、最高裁は裁判のやり直しを認めた東京高裁決定を支持しました。最高裁決定は、自白偏重の裁判や検察の証拠隠しの危険性をあらためて浮き彫りにしました。
 布川事件では、事件発生後に警察が近くに住んでいた桜井さん(当時20歳)と杉山さん(当時21歳)を窃盗などの別件で逮捕し、脅迫や誘導でウソの「自白」を強要しました。ふたりは裁判で一貫して無罪を主張しましたが、無期懲役刑が確定。犯行とふたりを直接結びつける証拠はなく、現場近くでふたりを見たとする「目撃」証言や、「自白」によって有罪とされました。29年間を獄中で過ごし、裁判のやり直しを求め、再審を請求していました。

 今回再審開始が認められた理由は、ふたりの無罪を明らかにする新たな証拠が裁判所に提出されたからです。
 その一つは、殺害方法についての弁護団の鑑定です。桜井さんは「自白」で、被害者の喉を両手で押さえて殺したと供述。しかし、弁護団が捜査資料を分析し鑑定したところ、手ではなく、布などで締めて殺害された可能性が高いことが分かり、「自白」が客観的事実と異なることが明らかになりました。
 もう一つは、桜井さんの「自白」を録音したテープです。音響の専門家が分析した結果、テープの途中に改ざんを示す跡が見つかり、「自白」が都合よく編集された疑いがあることがわかりました。
 さらに、検察がふたりの無実を示す証拠を隠していたことが明らかになりました。事件当時、被害者宅前に桜井さん・杉山さんとは違う人物がいたことを目撃したという証言と、現場に残された毛髪がふたりとは違う第三者のものであることを示した鑑定書です。これらの新証拠は、再審請求の審理のなかで、弁護団の粘り強い要求で検察に開示させたものです。

 今回の決定はA4判2枚と短いものですが、新旧証拠を総合的に評価し、「合理的な疑い」があれば再審を開始するという白鳥・財田川決定に則して再審開始を決定した東京高裁決定を、最高裁が認めたという点で大きな意義を持ちます。さらに、重要な証拠が隠されたまま誤った判決が導かれた裁判は、見直されるべきであることを最高裁が示したことです。
 決定は、日本の刑事裁判のあり方についても警鐘を鳴らしました。‖緲儡胴・警察の留置場での自白強要の危険性、⊆白や目撃証言に頼って物的証拠を軽視する裁判のあり方、H鏐霓佑慮⇒を守るうえで証拠開示は大変重要なものであるということ、そしてぜ萃瓦拜缶眠鳥覯修良要性です。「自白」テープが重要な証拠となりましたが、一部の録音だけでは供述経過はわからないことを示しています。
 今後、水戸地裁土浦支部で再審公判がおこなわれます。あらためて誤判原因を究明し、ふたりの無罪を求めていくことになります。

名張毒ぶどう酒事件・奥西さんがコメント  

 足利事件につづいて布川事件の再審開始が確定し、再審を求めてたたかう冤罪事件に大きな励ましとなっています。この流れを広げるためにも、名張毒ぶどう酒事件の奥西勝さんの再審開始決定を勝ちとりましょう。
 奥西さんの再審をめぐる審理は、現在最高裁でたたかわれています。検察が10月に弁護団の意見書に対する答弁書を提出。弁護団も反論書を出す予定で、再審をめぐる審理は大詰めを迎えています。
 布川事件で最高裁決定が出されたことは、名古屋拘置所の奥西さんにも伝えられ、特別面会人の早川幸子さんを通じて次のコメントが寄せられています。
 「今日出ましたか。おめでとうと申し上げたい。足利事件に続いて、布川事件も再審、次は私の番。早く再審開始をして欲しい」
 拘置所の独房の中で、奥西さんは1月14日に84歳の誕生日を迎えます。奥西さんの誕生日を祝い、生きて社会に取り戻すために、全国各地で誕生日宣伝にとりくみましょう。

布川事件・年表  

1967茨城・布川で男性が殺され、桜井さん、杉山さんが別件容疑で逮捕。その後強盗殺人で起訴
1970水戸地裁土浦支部が無期懲役判決
1973東京高裁が控訴棄却
1978最高裁が上告棄却 刑が確定
1983第1次再審 水戸地裁土浦支部に請求
1987同支部が再審請求棄却
1988東京高裁が即時抗告棄却
1992最高裁が特別抗告棄却
1996ふたりが仮出獄
2001第2次再審 水戸地裁土浦支部に請求
2005同支部が再審開始決定
2008東京高裁が検察の即時抗告棄却
2009最高裁が検察の特別抗告棄却 再審開始が確定

特集 東京・痴漢えん罪練馬駅事件  

 妻と3人の子どもに囲まれ平穏に暮らしていたNさんが帰宅途中の電車で突然痴漢に間違えられ、現在最高裁でたたかっています。Nさんと子どもたちの思いをお聞きしました。

 東京・六本木の小さなライブハウス。昨年11月、ここで痴漢えん罪練馬駅事件の守る会主催でチャリティライブが開催されました。メインイベントはNさんの次女が高校生の頃からやっているバンドの演奏。他にも友人らによる落語やダンスも。80人の参加者で会場は熱気に溢れ、笑い、涙、感動、そして冤罪事件への怒りが巻き起こるライブでした。

 東京地裁で07年10月におこなわれた第1回公判。傍聴者は身内だけの6人。そこに子どもたちの姿はありませんでした。
 Nさんが国民救援会を知ったのは、逮捕後勾留された留置場で同房者に紹介された痴漢冤罪の本がきっかけでした。その後東京都本部に助言を受けながら、小学校からの同級生の山田さん(現在「Nさんを守る会」代表)に冤罪事件に巻き込まれたことを打ち明け、約30人の同級生に話をしました。08年2月に「Nさんを守る会」が結成されました。高裁には3539人からの公正な裁判を求める署名が届けられ、判決の時には90人近い友人、支援者が傍聴に駆けつけました。

 逮捕されたとき、次女は大学の、長男は高校の受験を控えていました。
 「心配させたくない」と、子どもたちには当初知らせず、話したのは公判が始まってからでした。
 「一審の時は家族のなかで裁判について話し合う機会をもてなかった。意見をぶつけ合う私たち夫婦を、子どもたちが見守ってくれていた」とNさん。
 両親の姿を見ていた子どもたちが思ったのは「お父さんはやってないのに、何でこんな大変な思いをしなくちゃいけないんだろう。早く終わらせてあげたい」ということでした。できることはやりたいと、折り紙の裏に「無罪」と願いを込めて書き、千羽鶴を家族みんなで作りました。ビラまきや裁判所への要請に参加し、集会でも父の無実を訴えました。「家事を手伝う機会が増えました」と話す長男。弁護団会議などで両親の帰りが遅いときには、子どもたちが家庭を支えます。
 「私たち姉弟が父や母のためにできるのは家族を笑顔にすること」と話す長女。
 「だって事件がきっかけで私たちの生活から笑顔が消えて、苦しいだけの生活を送っていたとしたら悔しいじゃないですか」

 「子どもたちを巻き込みたくない」――チャリティライブを次女にもちかけられたときにNさんは止めようかと悩みました。次女はそんなNさんを「バンドのメンバーは信頼できる仲間だから」と説得しました。
 「ためらいがなかったとはいえないけど、結構すらっと伝えられた」。メンバーにチャリティライブに出てほしい、と持ちかけたとき、父が痴漢冤罪で2年以上たたかっていることを初めてメンバーに打ち明けました。返ってきた言葉は「どうして言ってくれなかったの」「ぜひやらせてほしい」。
 メンバーの間ではNさん一家は大の仲良しで知られています。「N家のためなら何でもやるよ」と言ってくれる仲間たち、「嬉しかった。バンドの仲間は、『もっと他にできることないの』と言ってくれて、署名もしてくれた」。ライブでは仲間たちと笑顔で元気に演奏しました。

 子どもたちにとってNさんは「優しいお父さん」。3人は思いを込めて地裁・高裁の裁判官に宛てて手紙を出しました。

長女
一審で、裁判官が父に有罪の判決を下した後、「反省の様子が伺えないのを残念に思う」という旨のことをおっしゃっていました。法廷を出た父は、私たちの前で「やっていないのに反省なんてできない」とすごく悔しがっていました。そのときの父の顔が、父の無罪を証明していました。

次女
東京マラソンに父が参加したとき、会場で会社の方がたと話している姿を見ました。父は、家族だけでなく、職場でも信頼されているのだという印象を強く受けました。支援している多くの方がたが父を心から信じています。公正な裁判をお願いします。

長男 
休日に銭湯に連れて行ってくれた時のことです。父が銭湯に入ると近所の人たちから話しかけられ、楽しく雑談をしたり、相談を受けたりもしていました。そんな人望のある父が痴漢をするはずがありません。父は絶対無実です。

 最高裁に上告してもうすぐ1年。現在、3132人分の署名が届けられています。
 「日々、支援の輪が広がっています。全国の支援者の一人ひとりの署名、励ましの言葉が力になります」と話すNさん。いま最高裁に対し、口頭弁論を開けと署名、「上申書」を呼びかけています。「後悔はしたくない。最後までご支援お願いします」と子どもたちと一緒に訴えました。
〈激励先〉〒112―0001 文京区白山4―33―21―706 山田方 痴漢えん罪練馬駅事件Nさんを守る会
〈要請先〉〒102―8651 千代田区隼町4―2 最高裁判所第2小法廷

無実の証拠を無視した裁判  

 07年4月、西武池袋線の電車が練馬駅に到着する直前、Nさんは女性から痴漢に間違えられ、逮捕・起訴されました。Nさんは逮捕以来一貫して無実を訴えています。逮捕後に警察がおこなったNさんの手指の繊維鑑定では被害女性が着用していたスカートの繊維は発見されず、満員電車での被害女性の供述しか証拠はありませんでした。弁護団は、女性のスカートの素材から考えれば、痴漢行為をして手に繊維が付着しないことはありえないとする鑑定を提出。しかし、08年3月、一審の東京地裁はこれらの証拠を無視し、懲役4月・執行猶予3年の不当判決、二審も控訴棄却の判決を出しました。昨年4月、最高裁は防衛医大教授の痴漢冤罪事件で、被害者供述だけを鵜呑みにした有罪判決は許されないとし、科学的証拠の重要性を強調しました。この判決から見てもNさんが不当な有罪判決を受けていることは明らかです。

国際人権活動日本委員会が個人通報制度の批准もとめて宣伝・要請  

 世界人権宣言の採択を記念して、国連が、人権に関わる行事をおこなおうと呼びかけている「人権デー」の12月10日、国民救援会も加盟している国際人権活動日本委員会は、自由権規約や拷問禁止条約、女性差別撤廃条約の個人通報制度の批准等を求めて、外務省と法務省に要請を23人でおこないました。国民救援会からは、鈴木亜英会長はじめ3人が参加しました。
 午前中は外務省に要請。担当官は、個人通報制度については検討を続けているところで、政権が変わって作業のスピードをあげていると述べました。何を検討しているのかとの質問に対して、確定判決と矛盾する見解が出た場合の対応、立法府の判断と矛盾する見解が出た場合の対応を検討していると回答しました。これに対し要請団から、最高裁の判断と矛盾する見解が出る場合、最高裁はその正当性を主張して当該委員会で議論すればよい、という立場に立つべきとの発言がなされました。
▼今こそ、個人通報制度の実現を!大集会(主催・日弁連) 1月15日(金)午後6時20分 東京・日比谷公会堂

仙台・筋弛緩剤冤罪事件 守る会が総会  

 仙台筋弛緩剤えん罪事件・守大助さんを守る会の第2回総会が11月28日、仙台市で開催され、北海道、山形、福島、千葉、神奈川、広島、徳島、香川、首都圏の会などから23人と宮城から49人が参加しました。
 志賀保信事務局長が報告に立ち、「守る会」はこの1年間で北九州と札幌で結成され、全国で8つになったこと、宮城では毎月宣伝行動が元気におこなわれ、情勢が反映して積極的な反応も増えてきていることなどを紹介しました。
 守大助さんのご両親から、「面会する度に『このまま一緒に帰りたい』と言われる言葉が一番辛い。一日も早く再審の扉を開いてほしい」と訴えがありました。
(宮城県本部)

【講演】よりよきバトンを未来へ 脚本家ジェームス三木さん  

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