日本国憲法と世界人権宣言を羅針盤に、弾圧事件・冤罪事件・国や企業の不正に立ち向かう人々を支える人権団体

09年11月5日号

09年11月5日号  

葛飾ビラ配布弾圧事件で荒川さんと弁護団が最高裁に申立て  

 最高裁でたたかう葛飾ビラ配布弾圧事件で、いったんは判決日と指定された10月19日、荒川庸生さんと弁護団は最高裁に対し、大法廷への回付と口頭弁論の開催を求め申立てをおこないました。

 荒川さんは、04年に東京・葛飾区内のマンションのドアポストにビラを配ったことで、住居侵入罪で起訴されました。配ったのは区議会だよりや区民アンケートなど、区議会と住民をつなぐビラでした。06年、一審・東京地裁は慎重な審理のうえ、「ビラ配布を処罰する社会通念はない」として、無罪判決。しかし、二審の東京高裁は、罰金5万円の逆転不当判決を出しました。
 最高裁に上告してから1年9カ月。突如最高裁第2小法廷が、判決日を10月19日に指定したため、弁護団が判決日の指定の取消しを申し立て、全国の支援者から抗議や要請が相次ぎ、最高裁は判決日の指定を取り消しました。

 「市民の正しい常識の力で判決日指定を取り消させた。大法廷に回付し、弁論を開かせ、正しい判決を導く新しいたたかいのスタートです」
 荒川さんは最高裁前に集まった約30人の支援者に決意を語り、拍手で見送られながら弁護団とともに最高裁に入り、申立書を提出しました。
 要請後の記者会見で弁護団は、判決日を取り消した経緯について、最高裁が出した他の判決との整合性を考慮するためだったのではないかとする見方を示しました。
 今年3月、最高裁第1小法廷は、夜中のサイクリング中に男性が護身用の催涙スプレーを持っていたことが、「正当な理由の無い隠匿携帯」に当たるとして有罪になった事件で、「社会通念上相当な行為」であり、「正当な理由」によるものだとして逆転無罪を言い渡しました。「正当な理由」は職務上または日常生活上の必要性から、社会通念上、相当と認められるかどうかによって判断すべきという基準を示したのです。
 住居侵入罪では「正当な理由」があるかどうかが問題となるため、最高裁第2小法廷がこの判断基準を無視して、形式的に荒川さんを有罪にした二審判決を支持すれば、最高裁の内部で整合性がとれなくなります。弁護団は、「異なる判断基準を出すことは最高裁が一番嫌がる。整合性を求めるならば大法廷に回すべきだ」と話しました。

 ビラ配布の自由を守る会では、11月12日、27日と要請行動をおこない、口頭弁論を開けと運動を続けます。全国から最高裁へ「弁論開き無罪を」の声を届けましょう。
〈要請先〉〒102―8651 千代田区隼町4―2 最高裁第2小法廷・今井功裁判長

栃木・足利事件で再審公判が始まる  

 1990年に栃木県足利市で幼女が殺害された足利事件で、無期懲役刑を受けて17年半拘束されていた菅家利和さんの誤った裁判をやり直す再審公判が10月21日、宇都宮地裁(佐藤正信裁判長)で始まりました。
 午前9時50分、秋晴れの青空が広がる宇都宮地裁前。菅家さんは「40年ぶりに着た」というグレーのスーツ姿に、63歳の誕生日に国民救援会千葉県本部から贈られたネクタイを締めて裁判所前に現れました。取り囲む記者団に「今日の天気のようにスカッとした気持ち」と述べ、声をかける支援者に笑顔を見せて入廷しました。
 この日の裁判では、菅家さんと弁護団が求めていたDNA型の再鑑定人の証人尋問が決定したほか、不起訴となった別の2事件の「自白」テープの提出命令が検察に対し出されるなど、菅家さんと弁護団の要求が通り、誤判原因の究明に向けて一歩ふみ出しました。

 公判では、菅家さんの弁護団と検察双方が意見陳述と証拠調べ請求をおこなったほか、菅家さんが獄中から家族に送った手紙が朗読されました。
 「みんなに会いたい」「早く外に出たい」――。手紙が読み上げられると、菅家さんは眼鏡をはずし、溢(あふ)れる涙を手で押さえました。
 閉廷直前、突然菅家さんが手を挙げて立ち上がり、声を振り絞って裁判長に訴えました。
 「私を取り調べた検事を出廷させてください。そして、真犯人を探してください」
 裁判長は制止せず、「意見として記録します」と答えて閉廷しました。
 次回公判は、11月24日です。

【解説】

 再審裁判は、菅家さんを有罪にした裁判をもう一度やり直す裁判です。起訴状の朗読からはじまり、証拠調べをおこない、判決にいたります。
 しかし、これまでの裁判で出された証拠は菅家さんを有罪にするものしかありません。そこで弁護団は、警察庁科学警察研究所の誤ったDNA型鑑定と、強要されたウソの「自白」を証拠から排除するよう裁判所に求めました。
 裁判所は、これらが排除するべき証拠かどうかを判断します。その判断材料とするため、弁護団はDNA再鑑定をした2人の鑑定人の証人尋問を求めました。弁護側が推薦する筑波大・本田克也教授と、検察側が推薦する大阪医科大・鈴木廣一教授です。今回裁判所は、この2人の鑑定人を証人として採用することを決定しました。弁護団はこの訴訟指揮を高く評価しています。
 両教授とも、菅家さんのDNA型と犯人のものとされるDNA型は違うと主張しましたが、本田教授は、当時の科警研の鑑定方法自体が間違っていると明確に主張しています。
 また、菅家さんのウソの「自白」調書を証拠から排除するため、弁護団は、不起訴になった別の2事件の取調べで録音された菅家さんの「自白」テープの証拠採用を求めました。裁判所は、「証拠調べの採否を検討するため」として、テープを提出するよう検察に命令しました。証拠として採用するかどうかは、次回公判以降に判断されます。

「私は無実です」  愛知・豊川幼児殺人事件を新たに支援決定  

■事件の概要

 2002年7月28日午前1時頃、愛知県豊川市内のゲームセンターの駐車場にとめてあった車の中にいた当時1歳10カ月のAくんが誘拐され、4時間後に三河湾で遺体となって発見されました。
 事件から9カ月後の03年4月15日、警察は、トラック運転手の田辺雅樹さん(当時35歳)を犯人として逮捕。田辺さんは、いったんは「自白」させられましたが、国選弁護人と接見した後、否認に転じました。
 06年、名古屋地裁で無罪。しかし07年、名古屋高裁で懲役17年の有罪判決が出され、08年、最高裁で刑が確定。現在、大分刑務所に収監され、再審請求の準備中です。

■有罪判決の筋書

 有罪判決の描く事件は以下のとおりです。
 妻から長男への勉強の教え方が悪いなどと罵(ののし)られた被告人(田辺さん)は、27日午後8時30分頃、軽自動車でゲームセンターに車を止め眠りについた。ところが、近くの車の中で寝かせられたAくんの泣き声で眠れなくなり、妻から罵られたことを思い出し、イライラがつのり、Aくんをどこかへ置き去ろうと考えた。Aくんを自分の車に乗せ、車を走らせたが、誘拐を知られないために殺害を決意。三河湾に面したガードレールの側に車を止め、海に投げ、殺害した。

■有罪判決の問題点

〇Τ科法の変遷
 田辺さんは当初、Aくんをガードレールの外側に立たせ、背中を押して海に落としたと「自白」していました。しかし、朝日新聞などが調査した結果、投げ捨てた時刻は干潮で、岸壁直下の岩が露出し、そこに落ちれば外傷が残るはずなのに遺体には外傷はなく、矛盾が判明。その指摘後に、「自分もガードレールの外に立ち、被害者をバスケットボールのように数メートル投げた」と現場の状況と合うように「自白」が変更されました。
⊆屬忘跡がない
 田辺さんの軽自動車の微物検査がおこなわれましたが、Aくんを乗せた証拠(痕跡)は発見されませんでした。
「自白」の強要
 判決では、逮捕前に「自白」していることを重視しています。しかし、任意同行を求められ警察署へ連行された田辺さんは、取調べのあとも、警察が日頃利用するビジネスホテルに宿泊させられた上、翌日再び警察署へ連れて行かれるなど、強制的に社会と隔離させられ、孤立感を強めたもとで「自白」に追い込まれました。また、精神鑑定の結果、田辺さんが「非常に迎合的である」との所見が出ています。
 田辺さんは、駐車場で睡眠をとっていただけで、事件とは関係ありません。

「私は無実です」  福岡・爪ケア事件を新たに支援決定  

■事件の概要

 高齢者を対象とした療養型医療施設・北九州八幡東病院で、看護課長であった上田里美さんが、入院中の患者Aの肥厚(ひこう)した足の爪を爪切りニッパーで深く切り、患者Bのはがれかかった根本部分のみが付いた足の爪を、爪を被っていた絆創膏(ばんそうこう)ごとつまんで取り去るなど、軽度の出血を生じさせたなどとして、傷害罪に問われ、福岡地裁小倉支部は3月、懲役6月・執行猶予3年の有罪判決を言い渡しました。
 上田さんは無実を訴え、福岡高裁に控訴し冤罪を訴えています。

■職員の誤解

 上田さんの行為は、不衛生や伸びた爪でけがをしないようにおこなったケアであり、正当な看護行為の一環です。
 上田さんは、爪の状態もふくめ足の状態や清潔の保持に気を配るフットケアへの理解を広げようと、みずから実践していました。
 07年6月、病棟が移り、上田さんのフットケアを、一部スタッフが爪をはがしていると誤解し、問題とされました。病院が記者会見で「爪はぎをした」「虐待があった」と謝罪をし、その後、警察が捜査に入り、7月に上田さんは逮捕、起訴されました。

■「自白」で有罪

 裁判では、上田さんの行為が「傷害」か「ケア」かが争点になりました。事件後、日本看護協会は、上田さんの行為は「虐待ではなく自らの看護実践から得られた経験知に基づく看護ケアであると判断」する旨の見解を発表しました。
 裁判所は判決で、爪をはがしたという認定はしなかったものの、「少々の出血をみてもかまわない」との、真意ではない「自白」の一部を採用し、有罪としました。
 しかし、裁判のなかで専門家が、問題の爪はきちんとケアされていると証言しているとおり、虐待の意図がないことはまさにその爪が示しているのです。

福島大学で松川60周年記念全国集会が開かれる  

 10月17、18日に、松川事件60周年記念全国集会(同実行委員会主催)が福島大学を会場に開かれ、予定していた900人をはるかに超える1515人の人が全国から集いました。
 地元合唱団による松川の歌の合唱にはじまり、主催者あいさつにつづき、福島大学学長の今野順夫さん、松川運動記念会代表の松本善明さん、被告団を代表して鈴木信さんがあいさつしました。その後、福島大学名誉教授で松川資料室研究員の伊部正之さんが「松川の全容――松川資料室からの報告」と題して、また、松川事件主任弁護人の大塚一男さんが「松川闘争60周年に思う」と題して記念講演をおこないました。
 2日目は2つの講義室に分かれて、治安維持法国賠同盟中央本部副会長の柳河瀬精さんから「松川事件と特高警察」と、歴史研究家の呑川泰司さんから「松川事件と人間」の講演がおこなわれました。布川事件の桜井昌司さんの歌が披露され、元被告とその家族らとの交流がおこなわれました。
 集会終了後は「松川の碑」見学ツアーが組まれ、碑を前に元被告の阿部市次さん、地元住民で当時の事件現場に駆けつけた方からのお話がありました。その後、福島県松川運動記念会理事長の大学一さんが列車転覆で亡くなった3人の機関士の方がたの慰霊碑に献花をおこないました。
 大阪や千葉などの救援会はバスで訪れ、また地元・福島からも大勢の市民らが参加し、当初予定していた会場では入りきれず、急きょ会場を増やすことになるなど大賑わいでした。会場内では、席が足りずに通路いっぱいにあふれた参加者が、熱心に耳を傾けていました。
 集会では、地元の中学生らが松川の碑の草刈りをやっていることや、小学生らから「松川の碑は私たちの宝です」と紹介されたことなど、住民の心に松川事件とその運動が根付いていることが紹介され、この運動を大いに学び、今に活かそうと呼びかけられました。

法務省に受刑者の処遇改善の要請  

 10月14日、国民救援会と再審・えん罪事件全国連絡会の共同で、受刑者の処遇問題に関して、法務省に要請しました。これまで支援事件などの受刑者について処遇問題のアンケート調査をおこなうなかで、広島刑務所では弁護人や家族以外の面会が認められなくなり、横浜刑務所では家族と身元引受人以外ではほとんど面会を認めないなどの看過できない不当な対応が報告されたため、事態の改善のためにおこなったものです。
 要請は、ー刑者の面会、⊃書の発受、J欸魃卆犬よび医療、ね彑舛紡个垢觀彩浬蠅梁弍の4点について、具体的な実態と問題点を指摘する文書を事前に法務省に送ったうえでおこなわれました。
 受刑者の面会について、2005年に従来の監獄法が廃止され、刑事収容施設及び被収容者等の処遇に関する法律が制定されて、支援者の面会が広く認められるようになったにもかかわらず、1、2年が経過する中で支援者の面会が認められないなどの狭められる運用がなされている実態を、実際にその刑務所に面会に出かけて門前払いを受けた人から報告してもらいました。
 しかし、法務省の回答は、受刑者の分類・地位に応じて対応が異なることがあるなど要請の内容と噛み合わない回答で、刑務所でこんなに不当な対応がなされている具体的な実態の報告に対して、事実を調査しようという姿勢すら見えませんでした。
 要請後、参加者からは、「要請の内容・仕方を工夫し、法務省に噛み合わない回答をさせないために、特別な研究チームを作る必要がある」など、今後の課題についての意見も出されました。

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