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三鷹事件

国民救援会の支援事件

東京・三鷹事件  

事件の概要  

 三鷹事件は、アメリカ軍の占領下で国鉄をめぐって引き起こされた下山、松川事件とならんで、3大謀略事件の1つです。
 1949年7月15日、国鉄労働者10万人の大量首切りに反対するたたかいの最中に、現在の東京・三鷹市の中央線三鷹駅構内で発生した無人電車の暴走によって6人が死亡、20数人が重軽傷を負った事故を、捜査当局は国鉄労働組合員と共産党員の犯行であるとしました。
 7月17日、国鉄労働組合三鷹電車区分会長の飯田七三さん(元国民救援会中央本部副会長)らが逮捕され、つづいて竹内景助さんら三鷹電車区分会員ら合計10人が「電車転覆致死」の実行犯として、2人が偽証罪で逮捕、起訴されました。
 竹内さんは、電車転覆致死傷罪の被告とされ、1950年、共犯として起訴された他の被告全員が無罪を言い渡されるなか、東京地裁で無期懲役、1951年に東京高裁で死刑を宣告され、1955年に上告を棄却されました。竹内さんは、無実を主張して1956年に東京高裁に再審を申し立てましたが、東京高裁は1967年に竹内さんが獄中で死亡(45歳)したことを理由に、再審の手続は終了したと決定しました。
 2011年11月に竹内さんの遺族が、第2次再審を東京高裁に申し立てました。

矛盾する証拠  

 この事件で、竹内さんが犯人であるとする証拠は、捜査段階及び公判廷での竹内さんのウソの「自白」しかありません。
 確定判決は、犯人が1人でも犯行が可能であるとしていますが、根拠となる証拠と理由は何ら示されていません。
 また竹内さんの自白は、犯人しか知り得ないことを自白した「秘密の暴露」も存在せず、自白を裏付ける物証や客観的な証拠もありません。むしろ、自白と矛盾する証拠が存在し、自白の信用性は極めて弱いものです。 また、唯一状況証拠としてあるのは、事故後の時間帯に、三鷹駅正門前の道で竹内さんと出会ったという目撃者の公判での証言です。
確定判決は、検察が国鉄労働組合と共産党員が共同謀議し、組織的な犯行をしたという主張については、被告人らには明確なアリバイがあり共同謀議は「空中楼閣」としてその犯行を否定して、竹内さん以外の9人を無罪としました。しかし、竹内さんについては、公判廷での単独犯行の供述に基づいて、無期懲役としました。(東京高裁で9人の無罪が確定)
 

犯行は不可能  

 確定判決では竹内さんの単独犯行としました。竹内さんが第1車輌(先頭車)の運転席に入って、電車を発車させるための操作をして、最後に第1車輌のパンタグラフ(鉄道車両が電線から電気を得るための装置)を上昇させると、電車の室内燈がつき、コンプレッサー(空気圧縮機)が音を発したので、すぐに運転室を出て第1車輌から飛び降りて逃げ去ったところ、間もなく無人電車が発進して暴走した、と認定しています。また、第2車輌のパンタグラフが上昇していたことについては、脱線の衝撃で上がったとしました。
 弁護団が新証拠として提出した鑑定書では、検証調書の写真や第2車輌のパンタグラフの損傷状況からから、第2車輌のパンタグラフは上昇した状態であったことを明らかにしており、第2車輌のパンタグラフが脱線の衝撃で上がったという確定判決の認定の誤りが科学的に明らかにされました。
 また、目撃者は「スパーク(火花)が2回出たからパンタグラフは2つ上がっていたと思われる」と証言しています。事故発生前、電車のパンタグラフはすべて下がっていたことは、運転手の供述に基づき検察官も認めています。したがって、第2車輌のパンタグラフを上昇させたのは、事故を起こした犯人となります。鑑定書では、第2車輌のパンタグラフを上昇させるためには、第1車輌のパンタグラフを上昇させた後に第2車輌の運転台へ移動して、上昇させる操作をおこなわなければならないことを明らかにしています。
 しかし、事故車両は相互に車内を移動出来ない構造のため、第1車輌から第2車輌へ移るためには、いったん第1車輌から降りて、第2車輌に乗り移る必要があるとしています。
 ところが、第1車輌のパンタグラフを上昇させると、わずかな時間で電車が動き出します。単独犯で第2車輌のパンタグラフを上昇させるためには、動き出した電車に飛び乗る必要があり、このような芸当は人間には不可能であり、犯人が複数犯であったことが推認されます。

片手でハンドルの固定はできない    

 竹内さんの「自白」では、左手で車輌の運転台のコントローラー(主幹制御器)のハンドル(把手)を、電車が進むように押さえ(押さえておかないとバネの強い力でハンドルが戻ってしまう)、右手だけで紙紐を電線に巻き付け、「コイル巻き」という特殊な結び目を作ってハンドルを固定したとしています。
 しかし、このような工作をすることは多くの電車の運転手の経験によって、単独では不可能だとしています。
 また、確定判決はハンドルを固定するために紙紐を使ったと認定していますが、竹内さんの「自白」では、麻紐で結んだとなっていました。しかし、現場からは麻紐は発見されていません。

アリバイがある  

 竹内さんは、事件当時は三鷹電車区と道路一つ隔てた官舎に住んでいました。事件が発生した時間には、職員用の風呂に入っており、逮捕直後には「風呂場で上司のAさん、同僚のBさんと一緒だった」と、アリバイを主張しました。
 第1次再審請求では、元職場の上司A氏と同僚B氏による、竹内さんのアリバイを裏付ける供述が新証拠として提出されています。A氏は、「風呂に入ってしばらくして停電があってすぐ点いた。そのとき、竹内さんと湯船の中で話をした」と述べています。確定審の証言では、脱線転覆事故によって停電しており、事故当時竹内さんは、職場の上司・同僚らと風呂に入っていたのです
再審を求めて
 事件発生から60年以上が経過しており、1日も早い再審を求めています。

守る会の連絡先/署名等  

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